imakokoparadise’s diary

科学的エビデンスを最重視はしません。 エビデンスがなくとも論理的に適当であればそれを正しいと仮定して進む。私の目的は、得た結論を人生に適用して人生をより良くすること。エビデンスがないからと言って止まってられない。 目的は、皆の不安を無くすこと。

1 集団生活 そもそも

ヒトが集団生活を始めたのは生存上有利だったからだ。 一人で狩りをするより集団で狩りをした方が圧倒的に成功率が上がっただろうし 、外敵からの攻撃を集団で守った方が有利だったに違いない 。

しかし集団生活はストレスの多い生活だ 。自分の欲望は我慢しなければならないし、他人が利己に振る舞うのも 我慢しなければならない。

しかし集団生活の有利さは圧倒的だったので そのストレスを乗り越えるために 人は承認欲求 という本能、情動を獲得したのだと思う。 承認欲求は他者がいなければ 充足できない欲求だ。 この欲求があるがためにヒトはストレスを乗り越えて 集団生活ができたのだと思う。

ところが定住生活が 始まると その数は激増する。 周りにいるすべての人が承認欲求を満たしてくれるわけでもなくなった 。ストレスはさらに高まる。

そこで人は一つの能力を身につけた。 相手の存在感を小さくする能力だ。 具体的に言うと相手の中に大切な自分を見てしまい、その自分を大切にしてしまう、つまり共感能力を獲得した。 私の言葉で言えば拡大自己を作って相手を包み、共感する。

つまり相手に共感する事によって相手の存在感を小さくするのだ。自己が皮膚境界を越えて、抽象空間で相手を包んでしまう能力。

例えば、騒音は誰が出すかによって 騒音と感じるレベルが違ってくる。 親しい人が出す音はあまり気にならないが、知らない人が出す音は小さな音でも気になる。

共感能力を獲得した時点で、人は 思わぬ副産物を手に入れる。 それはリターン 求めない 利他行為ができるようになったことだ。 利他行為は相手の承認欲求を当然満たす 。そして相手が感謝することによって 当然こちらの承認欲求も満たす。 つまり利他行為は 両者の承認欲求を みたすのだ。 欲求が満たされるのでもちろん快だ。