社会の秩序が整然としているから、または秩序正しい社会を作ってしまったから、人生も秩序正しいはずだ、との思い込みがある。人生は始まりから終わりまで操作可能である、という幻想を信じている。生まれてから年老いるまで、生き続けることが必然のように思われている。
しかし生き続けることは必然でも何でもない。それは周囲を見渡せば分かる。私の家のベランダの小さなプランターにいる、どこからやって来たのか不明なダンゴムシは、越冬に失敗して何匹か死んでいる。人間だけが何が何でも生き続けなければならない根拠はない。生き物として見れば、死は日常である。人は自分の死をあまりにも特別視し過ぎていると思う。自分もただの生き物である。
命は軽くあってはならないと思うし、理不尽な死もあってはならないし、それに慣れてもいけないと思うが、人も生き物である限り、死は日常的について回る。何ら特別なことではない。
私が死ぬとは、ただ私が死ぬだけである。私にとってのすべての世界は失われるが、それだけである。
人間だけが他の生き物から超越して存在しているわけでは無い。身近な生き物の生死、つまり 生きざまを手本にして自分の人生を見渡してみるのも無駄ではないと思う。死は私たちの周りで、ごくありふれた出来事だから。