imakokoparadise’s diary

科学的エビデンスを最重視はしません。 エビデンスがなくとも論理的に適当であればそれを正しいと仮定して進む。私の目的は、得た結論を人生に適用して人生をより良くすること。エビデンスがないからと言って止まってられない。 目的は、皆の不安を無くすこと。

レビュー 「アヤメ」ヘルマン・ヘッセ『メルヒェン』新潮文庫より 2023年12月18日

『メルヒェン』はヘルマン・ヘッセの短編集で、原作は1919年に出版された。「アヤメ」はその中の一編である。

 

野口悠紀雄氏の「超超勉強法」を見ていると、文章を書く時の構成の勉強になる、として、ヘッセの「メルヒェン」と「ビアズ短編集」岩波文庫を薦めていた。

 

で、さっそく図書館で借りて読んでみた。

 

短編集の表題のメルヒェンとは、おとぎ話、という意味である。各掌編もそれに叶った内容になっている。

 

ヘルマン・ヘッセ(1856年~1962年)はドイツ語圏で生まれ育った人である。短編集として出版されたのは1919年だが、それぞれの小説は1913年から1918年に書かれている。ちょうどドイツが第一次大戦に向かう直前から戦中に書かれた。ヘッセは反戦主義者だったので、軍国主義ドイツでは居場所が無かったようである。

夫人との関係にも問題を抱え、神経症を患い、1916年あたりからユングの弟子のカウンセリングを受けている。同年にはユングとも直接知り合うようになった。

この時代はもちろん、ドイツ語圏の学者フロイトが無意識の概念を発表した後である。

 

1912年ごろからドイツ語圏の知識人サークルでフロイトのことが話題になっていたようだ。「アヤメ」はもちろん同乗した他の小説もその無意識の知識無くして書き得なかったと思う。

 

「アヤメ」について

 

心揺さぶる作品である。

心の深いところ、つまり無意識近くまで舞い降りて、自分の心を観察した作品である。この作業をやってのけたところが常人を超えているし、別の見方をすれば、それだけ悩みが深かったのだと思う。

同短編集の中に「アウグスツス」1913年と「ファルドゥム」1916年が収められているが、「アヤメ」を書くための習作のように見える。

 

この短編集の全ての作品について言えることだが、描写が不必要に細かいと思う。一つ一つ丁寧に読む気にさせないほど細かい。多分これは以下のことを意味していると思う。

深く内省するためには、抽象的にイメージするだけではなく、具体的なイメージが必要なのだ。そして細かく獲得したイメージが更なる深みに導いてくれる。

結果、ここまでの深みに達したのだと思う。

 

同短編集に収められた「夢から夢へ」1916年は全く意味不明のお話である。まさに夢の連なりで、全体として意味をなさない。興味深いのは、なぜこんな意味不明の小説を公に発表したのか、と言うことだ。何か特別の思い入れがあったのだと思う。普通の精神状態だったら、これを公表しようとは思わないだろう。

 

1919年に発表された長編小説「デミアン」も同じテーマを扱っているようだが、私は未読である。

 

余談

 

◎ 同じドイツ語圏のフランツ・カフカ(1883年∼1924年)が「変身」を発表したのが1915年である。

更に余談だが、「変身」の主人公が変態したのは私はずっとムカデだと思っていたが、今回調べてみると、ゴキブリというのが主流の解釈のようである。ゴキブリはゴキブリで確かにグロテスクな想像だが、ムカデのほうが文脈に合っているような気がする。というのもゴキブリはまだ人間にイメージが近いと思う。

 

◎ 『メルヒェン』の各作品を読んで、物語の展開の勉強になる、と思った野口氏はとんでもない抽象化能力を持っていると思う。私は物語の内容に引き付けられてしまって、とても展開の上手さまで気が回らなかった。物語全体を俯瞰することが出来なかった。そしていまでも出来ない。