imakokoparadise’s diary

科学的エビデンスを最重視はしません。 エビデンスがなくとも論理的に適当であればそれを正しいと仮定して進む。私の目的は、得た結論を人生に適用して人生をより良くすること。エビデンスがないからと言って止まってられない。 目的は、皆の不安を無くすこと。

エッセイ 生き物としての価値と個人の価値 2023年12月3日

職場に行っていつもと同じ仕事をし、帰宅していつもと同じ日常を送る。似たような食事を作り、似たような本を読む。こういうことを繰り返していると、堪らなく詰まらなくなってくる。

今までも同じことを書いているかもしれないが、またつまらない感覚に襲われたので、書いてみようと思う。

 

抽象的に言えば、進化論的価値と存在論的価値は違う、ということだと思う。

具体的に言えば、遺伝子を残すために大切なことと、私が生きていくときに大切なこととは違うということだ。

遺伝子を残すために大切なこと、つまり生き物として、ホモサピエンスとして大切なことは、健康であることとか、社会を維持していくことだ。

しかしその時々に獲得した指向性は、価値があるから獲得したのではなく、その環境に有利に適応したから生き残った指向性に過ぎない。私たちが〝本能〟として肯定的に受け入れている価値は、たまたま現前した偶然の環境に、より適応した個体が生き残り、結果としてその遺伝子が残ったに過ぎない。価値もへったくれもない。

 

健康寿命を伸ばすために、食事に気を遣い、規則正しい生活をする。しかしそれが個人にとって大切なこと、価値のあることとは限らない。

例えば、とことん健康であろうとすることや、とことん長生きしようとすることは、私の価値の上位には来ない。もっといろいろしたいことがあるでしょう、と思う。

 

健康でなくなったとしても、寿命が短くなったとしても、大切なことがほかにたくさんあると思う。

 

それにしても、どうして人はこんなにつまらない社会を作ってしまったのだろう、と思う。