最近幾つかのレビューを書いて思ったことを書いてみたい。
レビューとは作品を通して直接感じたこと、瞬間的な心の反応
評論とは時間をかけて考えたこと
批評とは更に社会批判が加味
そんな感じだろうか。
ありていに言えば、後になるほど高級感がある、というのが世間のイメージだと思う。
ここではどれも同じものとして扱う。実際大差はないだろう。
以下レビューを代表名詞とする。
◎なぜレビューを書きたくなるのか。
作品に接すると
1 心が動く
2 他の作品との比較でその作品の構造が自分だけに見えた気がする。
故に、誰かに話したくなる。
他人に表現したくなる気持ちは以上のようだと思う。つまりすべてのレビューにはこの動機が働いていると思う。
◎レビューを書く意識的な目的
作品鑑賞に新たな視点を提出し、視聴者に気付きを与え、より良く生きてもらう。
具体的には、新たな視点を提出して気付かれていない世界観を提示し、それを社会の現状と比較して、もうひとつ別の世界・生き方を意識してもらう。
提示する世界観にはピラミッド型の階層がある。
主人公 |
作品 |
作者 |
時代 |
ヒト |
私 |
一番上が主人公の世界観である。ひとつの作品に主人公の言動は描かれるが、その前提となる世界観は描かれないので、それを提示する。
次のレイヤーが作品である。作品である物語の前提となっている描かれない世界観を提示する。
その次は作者の前提となっている個人的な世界観である。作者自身も気づいてない可能性がある。
次はその時代を生きているすべての人に共有されている世界観だ。その時代に生きている人には当たり前すぎて意識しにくい。
次が種として進化してきたヒトが獲得してしまっている行動・思考様式だ。
最後に、偏見も含めたすべてを認識している私の世界観が影響するだろう。私の世界観は作品に表現されていないが、それまでの階層のすべてを規定してしまう。そしてレビュー読者はその私の世界観を可視化して利用する可能性がある。
つまりこの階層のどこかの世界観を提示することによって、視聴者に気付きを与えることが、レビューを書く目的だと思う。例えば主人公が持っている世界観を使って、もうひとつ別の生き方を示し、視聴者により良く生きてもらう。
階層が下がるほど、抽象度は上がる。
具体的な例を出すと、「アメリカン ビューティー」の主人公、レスター(ケビン・スペイシー)の言動から今ここパラダイスという明白な世界観が立ち上がる。既に視聴者は気付いているだろうが、それを明示することによって、日本に特に欠けているこの世界観を再認識して、より生きやすい人生を送ってもらう。
余談
1970年代、80年代は批評という言葉がよく使われたと思う。それは反体制的、新左翼的な時代の雰囲気を反映している。少し小難しいことを言ってやろう、ということでもあった。最近は批評と言うと気難しいイメージがあるので、敬遠されがちなのだと思う。
これが、時代の世界観の具体的表現である。