imakokoparadise’s diary

科学的エビデンスを最重視はしません。 エビデンスがなくとも論理的に適当であればそれを正しいと仮定して進む。私の目的は、得た結論を人生に適用して人生をより良くすること。エビデンスがないからと言って止まってられない。 目的は、皆の不安を無くすこと。

なぜ書きたくなるのか、何のために書くのか 2023年8月

最近幾つかのレビューを書いて思ったことを書いてみたい。



レビューとは作品を通して直接感じたこと、瞬間的な心の反応

評論とは時間をかけて考えたこと

批評とは更に社会批判が加味

 

そんな感じだろうか。

ありていに言えば、後になるほど高級感がある、というのが世間のイメージだと思う。

ここではどれも同じものとして扱う。実際大差はないだろう。

以下レビューを代表名詞とする。

 

◎なぜレビューを書きたくなるのか。

 

作品に接すると

1 心が動く 

2 他の作品との比較でその作品の構造が自分だけに見えた気がする。

故に、誰かに話したくなる。

 

他人に表現したくなる気持ちは以上のようだと思う。つまりすべてのレビューにはこの動機が働いていると思う。

 

◎レビューを書く意識的な目的

 

作品鑑賞に新たな視点を提出し、視聴者に気付きを与え、より良く生きてもらう。

具体的には、新たな視点を提出して気付かれていない世界観を提示し、それを社会の現状と比較して、もうひとつ別の世界・生き方を意識してもらう。

 

提示する世界観にはピラミッド型の階層がある。

 

主人公

作品

作者

時代

ヒト

 

一番上が主人公の世界観である。ひとつの作品に主人公の言動は描かれるが、その前提となる世界観は描かれないので、それを提示する。

次のレイヤーが作品である。作品である物語の前提となっている描かれない世界観を提示する。

その次は作者の前提となっている個人的な世界観である。作者自身も気づいてない可能性がある。

次はその時代を生きているすべての人に共有されている世界観だ。その時代に生きている人には当たり前すぎて意識しにくい。

次が種として進化してきたヒトが獲得してしまっている行動・思考様式だ。

最後に、偏見も含めたすべてを認識している私の世界観が影響するだろう。私の世界観は作品に表現されていないが、それまでの階層のすべてを規定してしまう。そしてレビュー読者はその私の世界観を可視化して利用する可能性がある。

 

つまりこの階層のどこかの世界観を提示することによって、視聴者に気付きを与えることが、レビューを書く目的だと思う。例えば主人公が持っている世界観を使って、もうひとつ別の生き方を示し、視聴者により良く生きてもらう。

階層が下がるほど、抽象度は上がる。

 

具体的な例を出すと、「アメリカン ビューティー」の主人公、レスター(ケビン・スペイシー)の言動から今ここパラダイスという明白な世界観が立ち上がる。既に視聴者は気付いているだろうが、それを明示することによって、日本に特に欠けているこの世界観を再認識して、より生きやすい人生を送ってもらう。

 

余談

 

1970年代、80年代は批評という言葉がよく使われたと思う。それは反体制的、新左翼的な時代の雰囲気を反映している。少し小難しいことを言ってやろう、ということでもあった。最近は批評と言うと気難しいイメージがあるので、敬遠されがちなのだと思う。

これが、時代の世界観の具体的表現である。