imakokoparadise’s diary

科学的エビデンスを最重視はしません。 エビデンスがなくとも論理的に適当であればそれを正しいと仮定して進む。私の目的は、得た結論を人生に適用して人生をより良くすること。エビデンスがないからと言って止まってられない。 目的は、皆の不安を無くすこと。

偶然と必然 1 歴史的変遷 2022年12月

ある出来事を経験した時、それを偶然と受け止めるか、必然と受け止めるかは、時代によって違う。

 

前提

人は不幸にあったとき、それをたまたまだった、つまり偶然であった、とはなかなか受け入れづらい。何か理由があったはずである、と考えて、自分を納得させたい。そこに意味、つまり物語が出来る契機があると思う。

抽象化すれば、人は偶然に遭遇した時、そこに意味を読み取ろうとする。それが物語を作る。物語を作って、偶然を必然に読み替えて、自分を納得させる。そういう力学が人には働くと思う。

 

1 古代

偶然と必然が混然と混ざり合い区別できない。ほとんどの自然現象がなぜ起こるのか科学的に理解できない。

何故雨が降り、嵐が起こるのか。何故地震が起こるのか。何故月の満ち欠けがあるのか。何故激しい下痢が周囲にうつるのか。何故傷が出来るとそこから腐っていくのか。

例えば占星術とは、星の不思議な動きで未来を予想出来るという考え方である。具体的には地球の外側の太陽系の惑星は、地球との位置関係により天球上の見かけの位置が順行や逆行して変わる。当時はもちろんその科学的理由が分からなかった。その不思議な星の動きは何かの前触れと考えられたのである。

他にも日食や月食は凶行の前触れと考えられただろう。

 

偶然と必然が混ざり合った、と書いたが実際は、偶然に、つまりたまたま不幸に遭遇した時、それを受け入れ難いので、そこに物語を描いて必然として読み替えたのだろうと思う。

例えばある年が大凶作で家族を含む多くの人が餓死をした。そういえばあの時ある星(例えば火星)が逆に動いていた。それは神が私たちに凶作を教えてくれていたのだ。それで日照りが続いたのだ、と。

 

2 近代

自然科学が発達し、多くの出来事が偶然から必然に腑分けされた。日食も月食も惑星の逆行も科学的に解明された。占星術を信じる人は激減したと思う。予測可能な出来事、つまり必然が増加したのである。

では偶然は減ったのか。

多くの人に不幸をもたらす病気の原因の一つ、細菌は発見されたが、ウイルスはまだ知られていなかった。野口英雄は細菌の研究時にウイルスに感染して死んだ。癌も心筋梗塞脳卒中もその科学的原因は分からなかった。

なぜ自分の親が胸を押さえて苦しみ絶命したのか、分からなかった。そこで人は古代と同じことをする。この不幸が偶然であったとは受け入れがたい。何か理由があるはずである。そこに意味を見つけて物語を作り、自分を納得させる。例えば自分の日頃の行いが悪くて、罰が当たったのだ、と。

 

3 現代

近代よりも多くのことが科学的に証明されている。必然がさらに増えたのである。

では偶然は減ったのか。

自分の子供が交通事故で死んでしまった。あの時ああしとけばよかった。このときこう言っておけば良かった。何故あの時あそこで遊んでいたのか。悔やんでも悔やみきれない。毎年交通事故で死ぬのは数千人である。たまたまそのうちの一人が自分の子供だった、とはとても受け入れられない。そして人はそこに意味を見つけようとすると思う。

自分の大切な人が肺がんで死んだ。確かに喫煙はしていたが、他にも喫煙している人はたくさんいる。何故よりによって私の大切な人が癌になって死んだのか。

これほど大きな出来事でなくても、偶然を必然に読み替える契機はたくさんある。運命の人と出会った。宝くじに当たった。これらは幸運の出来事の物語を作る。

現代も続く多くの占いもそのひとつだと思う。カード占い、手相占い、星座占い。偶然に出たカードを必然に読み替え、物語を信じる。

 

以上見てきたように、どれだけ科学が発展して、偶然から必然が腑分けされたとしても、相変らず偶然は残り続ける。何故よりによってそれが私や私の大切な人なのか、という疑問はついに解決されない。故に偶然は解釈され、物語を作り、必然として理解される。