imakokoparadise’s diary

科学的エビデンスを最重視はしません。 エビデンスがなくとも論理的に適当であればそれを正しいと仮定して進む。私の目的は、得た結論を人生に適用して人生をより良くすること。エビデンスがないからと言って止まってられない。 目的は、皆の不安を無くすこと。

エッセイ オートキャンプ 世界の外側を経験するということ 2022年10月

以下のような人たちとはすべてとは思わないが、私が感じるオートキャンパーについて書いてみたい。

 

私は山でテント泊をするのが好きで、以前はよく山梨方面に出かけていた。そこでオートキャンパーを見たり、動画を観たり、話を聞いて思うことがある。それは、街の生活を自然の中に持ってきただけだなぁ、と言うことである。

”快適に楽しく過ごしました。そういえば周りの風景がいつもと違ってたなぁ”

せっかくいつもと違う場所、未知の世界、日常世界の外側に来たのに、何も体験せずに帰ってゆくのである。

自然は未知の宝庫である。植物、昆虫、コケ、キノコの生活。彼らどうしの関係である生態系。地形の成り立ちとその成長過程。そこに転がっている石や岩石の生成過程。

そしてそのような自然に触れた時の自分の意識の変化。

 

もちろん1人で楽しく騒ぐのもいいし、みんなで楽しく騒ぐのもいい。が、時には世界の外側を経験するのも悪くないと思う。

 

私の感覚で言うと、自然は非常に緊密にバランスを取って存在している。

そこにツバキが生えているのは半分は偶然であるが、半分は必然である。そこにはアカマツやイロハモミジは生えれなかったのである。少し植物の種類が分かってくると、そう言うことに興味が湧いてくる。

木の種類が違えば、生えるキノコも違ってくる。実際にそのことを肌で知ると、キノコと植物の関係に興味が湧いてくるだろう。

自然の中で安らかな気持ちでいると、時に変性意識が訪れて、超常体験をすることもあるだろう。

 

小さな生き物たちの暮らしが見えてくるようになると、自分もその中の一員である実感を持つことがあるだろう。街に帰っても、小さな生き物たちの存在に気付くことになるだろう。そうなれば、もう今までの世界に住むことは出来ないと思う。街にいても、小さなものたちの息吹きが聞こえるようになるからである。

 

世界の外側を経験するとは、新しい価値を取り入れるということである。世界が広がるということである。別の言葉で言えば、成長するということだ。

世界の外側を経験することは少し勇気がいるが、実際に踏み越えれば楽しいことなのである。オートキャンプはそのきっかけになると思う。

 

実にもったいない、と思うのである。