imakokoparadise’s diary

科学的エビデンスを最重視はしません。 エビデンスがなくとも論理的に適当であればそれを正しいと仮定して進む。私の目的は、得た結論を人生に適用して人生をより良くすること。エビデンスがないからと言って止まってられない。 目的は、皆の不安を無くすこと。

エッセイ 能力は動機付けを含む 2022年12月

人はそれぞれ持ち合わせている能力が違う。ある人は歌が上手く、ある人は計算が速い。ある人は走るのが速く、ある人は物覚えが良い。

 

幸いなことに、周囲より上手に何かができれば気分がいいので、それが好きになる。好きになればそのことにより多くの時間を割くようになるので、ますます上手になる。という好循環が起こる。

 

好きこそ物の上手なれ、とはそのことを言っているのだろう。上手、つまり能力がある、そしてその能力を発揮するためには、好きである、つまりそれを楽しめる、ことが大切なのだ。

 

当たり前だけれどいくら能力があっても、練習しなければ能力は開花しない。例えばどれだけ速く走る能力があったとしても、練習をしなければその能力は発揮できない。もしウサインボルトがアマゾンのヤノマミとして生まれていたら、平坦な地面を早く走る練習が出来なかっただろう。であるなら自分の能力に気付かず、故に楽しむこともできず、結果好きになることもできなかっただろう。つまり厳しい練習を続ける動機を持てなかったと思う。

 

と言うことを考えれば、能力を伸ばすためにはそれを続ける動機付けが不可避に必要なのだと思う。楽しむ、と言う上手な動機付けを作れる、持てる人が、能力を発揮することが出来る。

つまりある能力を伸ばすためには、上手な動機付けを持つという能力が必要だろう。能力は動機付けを含む、ゆえんである。

 

上手な動機付けとは、楽しむ目的とそれに至る手段を見つけられる、ということだ。それは人生の生き方につながる大切なことだと思う。

 

速く走ることは能力で人それぞれだが、楽しむ手段は意識さえすれば誰にでも探せると思う。