imakokoparadise’s diary

科学的エビデンスを最重視はしません。 エビデンスがなくとも論理的に適当であればそれを正しいと仮定して進む。私の目的は、得た結論を人生に適用して人生をより良くすること。エビデンスがないからと言って止まってられない。 目的は、皆の不安を無くすこと。

自尊心と自己肯定感とその高め方

1 自尊心は他者との関係の中での自分への評価に関わる。 評価には部分評価と全体評価がある。
1)まず部分評価。 自分の能力を他人と比べてする評価のことだ。(性格評価もあり得るが自尊心にはほとんど関わらない。性格は変えることができるという意識もあるだろうし、1つの性格でもプラスとマイナスの評価が出来るからだろう) あの人の方が私より面白い。 あの人の方が私より頭の回転が速い。 あの人の方が私より仕事ができる。
このような低い能力評価をどうやって乗り越えるか。
まず人と比べて勝ち負けを意識するのは無意味である。 前提条件が違うからだ。
(詳しくは以前のブログ
https://hiroto-pilato.at.webry.info/202012/article_2.htm )
次に、具体的に考えてみると、管理職ではない現場労働者が、周囲と比べて、自分は仕事ができない、と感じていたとする。 この場合の能力とは実質的には、次に必要なことを予想して準備する能力だろう。 大雑把に言えば20~30分後のことを予想する能力だ。 これは現場労働をするのに大切な能力だが、多くの能力の一つにすぎず、自分の価値を大きく損なうものではないだろう。 経営者や管理者に必要とされる能力でもない。 故に自ら進んで自分の価値を下げる必要はないと思う。 だとしても、自分は仕事ができないやつだ、という劣等感から自由になれなときはどうするか。 上記で乗り越えられなければ次は自己肯定感の領域に入る。

2)次に全体評価。 他者との関係の中で育む自分への全体の評価だ。
具体的には、やましいことはしていない、世間に胸を張って生きてたとか、卑怯な奴だとか、情けない奴だとか。 最終的にこの評価は大切な人たちとの関係で決まる。 大切な人たちを大切にできたか否かだ。抽象化すれば利己ではなく利他に生きれたか。 大切な人たちを大切にできなければ自分だけを大切にするしかない。 関係を大切にせず、大切な人たちの存在を大切にしない利己行為は当然自己評価を下げる。

社会の中で見れば、相手が利他に振る舞わないと前提すれば,こちらが利他に振る舞う動機付けを失う。それは社会の基盤を崩していく。
この低くなった自己評価をどうやって乗り越えるか。
手っ取り早い方法は、困ってる人を助けるとか、人の嫌がることを率先してすることだ。とりあえずは他者から評価され自己評価が上がる。これを繰り返せば、 関係の大切さが意識され、関係に包まれて生きている自分を感じれるようになる。入り口は以上のような方法が考えられるが、最終的には共感能力によって大切な人たちに自然と利他行為ができるようになることだろう 。

余談
3) 尊厳は、自尊心と似ているが意識された対象は異なる。 尊厳は自由に関わる。選択の自由が与えられてると思えることだ。自分が生きている社会・世界への操作可能感だ 。
1))社会的に見ると、尊厳は権力を変えることができると信じれことによって支えられている。(社会に権力は不可避 以下を参考にしてくださいhttps://bblog.sso.biglobe.ne.jp/cms/article/edit/input?id=39185671 )
2))社会の外も含めた世界から見ると、自分は世界を改変できると信じれることによって尊厳は支えられている。 自分が存在する世界への操作可能感。これは世界への一体感によって感じられる自己肯定感とつながっている。

尊厳死とは自分の最低限の生に対する操作可能感を社会が尊重することだ。

2 自己肯定感 自己肯定感は評価になじまない。 自分の存在そのものに対する受容感だ。
それは世界と自分との関係に関わる。 世界と自分が断絶していれば、世界は自分を受容していないと感じるだろう。つまり世界からの疎外を感じる。視点を変えれば自分は世界を受容しているかどうか。 これが自己肯定感を形作る。 つまり世界は自分を受容しているのか、もしくは自分は世界と一体感を感じれるのか、が重要なのだ。
この感覚が希薄な場合どうやって乗り越えることができるのだろうか。
根源的な感覚なので、これを変えるハードルは高い。
尊厳のところでも触れたが、鍵は世界と自分の関係だ。世界は自分で変えられる、世界と自分は対立するところがない、世界と自分は一体である、世界の中心に自分はいる。以上のような関係を世界と持てれば、結果として自分の存在を受容していることになる。世界は自分を侵害するものではなく、共にあるという感覚を持つことだ。
乗り越える具体策は、論理的には矛盾した方法だが、自分が世界に価値を与えることによって、世界に自分の価値を支えてもらうことだ。
具体的には、萌えるような朝日を感じ、一生懸命に生きている虫たちを感じ、日々移りゆく植物たちを感じ、雲の雄大さを感じ、夕焼けの美しさを感じる。そしてその素晴らしい世界の中に今いる自分を感じる。

自己肯定感の乗り越え方は、今のところこれしか思いつかない。