imakokoparadise’s diary

科学的エビデンスを最重視はしません。 エビデンスがなくとも論理的に適当であればそれを正しいと仮定して進む。私の目的は、得た結論を人生に適用して人生をより良くすること。エビデンスがないからと言って止まってられない。 目的は、皆の不安を無くすこと。

言葉の意味と事物の役割 生きる意味とは

辞書にも記載されているように、言葉には意味がある。 例えば“鉛筆”の意味は、字を書く道具だ。 しかし目の前にある“この鉛筆”の意味は答えれない。 なぜなら“この鉛筆”の存在の意味を問うことになってしまうからだ。 “この鉛筆”の存在自体には意味はない。 つまり抽象的に表現された言葉の意味には答えることができるが、特定の事物を表す言葉に対しての意味は答えれない。

人が関わったものにはすべて役割がある。 一般名詞としての“鉛筆”の役割は、文字を書くことだ。 目の前にある“この鉛筆”の役割は、風で紙が飛ばないための重しだ。同じように“私の人生”の役割も説明することができる。 例えば、子供を育てて幸せにすることや、夢を叶えることによって他人を幸せにすることなどだ。

一般名詞としての“人”の意味は説明できるが、“或る人”の意味は説明ができない。 存在を問うことになるからだ。 そもそも設問としても違和感がある。
同じように一般名詞としての“人生”の意味は説明できるが、“私の人生”の意味は説明できない。 “ 私の人生”の存在に意味はないからだ。

以上から、私が存在の不安を感じた時、“私の人生”の意味を考えても答えは出ない。 より正確に言えば世界の内側からの答えはない。
一つの系の内側(ここでは世界の内側)でそれぞれの要素の関係は規定できるが、或る要素が存在している意味を規定するのは不可能だと思う。 その系の外側(ここでは世界の外側)の価値体系からでしか、ある要素の存在の意味を規定できないと思う。


世界の内側と外側

世界の内側とは知覚世界のことで、感覚器官を通して知ることができる世界のことだ。科学で証明できる世界にほぼ相当する。

世界の外側とは、その隣りに予想される世界のことだ。 具体的には、超常体験世界や非日常世界、超越的存在(神など) のことだ。

社会とは世界の内側で、かつ人間関係がある領域のことだ。