私が子供だった頃、50歳と言えば、十分に落ち着いた大人だった。若若しさなど微塵もなかった。
10年前、50歳になったとき、いよいよ老いの領域を感じた。
私もその年齢に達したのか、と老いに向きあう覚悟を必要としたものだ。
先日60歳になった。大きなショックでもあるかと思っていたが、意外なことに大した感慨は湧かなかった。よく今まで元気で生きてこれたものだと、逆に嬉しい気持ちさえ生じた。
しかし最近こんなことをよく思う。今まで死ななかった人は誰一人いなかったのだ、と。私たちの知っている歴史上のすべての人は死んでしまった。アレキサンダー大王も、チムールも、義経も、信長も。アインシュタインも、湯川秀樹も。
当たり前と言えば当たり前なのだけど、すべての人が死んでしまう、と言うことが、どういうことなのか良く分からない。実感が湧かない。
私の知っている人たちもすべて死ぬのか。それはどういうことか。私の周りにいるすべての人もいつか死ぬのか。
それがどういうことか、よく分からない。
私が子供だった頃、60歳と言えば、定年退職し、人生の余暇を楽しむのが当たり前だった。60歳を過ぎても働かなければならない日が来るなんて、考えもしなかった。
私が子供だった頃、学校を卒業すれば、正規労働者として働くのが当たり前だった。アルバイトを続けるのは、相当な変わり者だった。皆が正社員だった。私が正規の就職はしない、と言ったとき、親は相当反対した。
私が子供だった頃、電車やバスでタバコが吸えるのは当たり前だった。新幹線の中でさえタバコは吸えた。東京のおばあちゃんの家に行くときに乗った新幹線の客室が煙でモウモウだったのをよく覚えている。
私が子供だった頃、イヌは外で番犬として飼うのが当たり前だった。お金持ちの友人の家に行ったとき、小さなイヌが中から出てきたときは、非常に驚いたとともに、見識を疑った。
私が子供だった頃、男は髪を刈り上げるのが当たり前だった。耳が髪で隠れている男を一人も見たことがなかった。だからすべての男は、1ヶ月に1度は散髪に行った。
私が子供だった頃、風呂は2日に1度入るものだった。毎日湯を沸かすのは贅沢だといわれた。風呂に入らずに布団にもぐることが気持ち悪いとは全く思わなかった。
私が子供だった頃、夕方6時のテレビアニメに、耕運機や田植え機のコマーシャルがよく流れた。当時のアイドル御三家の桜田淳子がイセキの田植え機に乗って笑っていたと思う。
私が子供だった頃、冬は霜焼けが出来るのが当たり前だった。足の指にできた霜焼けを、指の付け根を糸で縛って、霜焼けに針を刺してよどんだ黒い血を出すのが冬の恒例行事だった。
私が子供だった頃、夏はビビッドに暑かった。日中は何処にいても暑く、夜は涼しく気持ちよかった。日差しは強いが輝いていて、鮮烈に私を支配した。
私が子供だった頃、友達と夕暮れまで外で遊んだ。暮れかけた空の中に星を見つけると、「一番星、見つけた」と大声で叫んだ。長らく一番星とは特定の星の名前だと思っていた。大人になって、最初に見つけた星をそう呼ぶことを知った。
私が子供だった頃、夏に夕立はつきものだった。家の前のほてったアスファルトの上に大粒の黒い雨粒がペンキを落としたように黒いシミを点々と付けていった。そこから立ちのぼる蒸気の臭い。何かが起こりそうな気分にさせた。夏の夕立は私の五感を占領した。
私が子供だった頃、家の前から見る夕焼けがとてもきれいだった。家の前の小さな公園のブランコに乗りながらあかね色の夕焼けをよく眺めていた。