もやしをつくる 生き物を食べる

野菜の種子をまいて発芽させ、開花・結実・収穫する中で、最も心が動く瞬間は発芽した時だ。 黒い土の中から芽が出て、緑の双葉がすくっと展開する。 あんなに乾燥して、コロコロと転がっていたけれど、本当に生きてたんだな、と思う。

種子を見るととりあえず発芽させたくなる。 よく玄米を食べるのだけれど、1日水に浸してザルに上げ、数日置いて発芽させてから炊く。
玄米が発芽することが当たり前の感覚になってくると、スーパーで袋詰めで売られている玄米を見ても種子に見える。 こいつら生きてるのにパック詰めされて売られてるわ、と思う。
大豆ももちろん発芽させる。 一晩水につけてザルに上げ、数日置いて発芽させ蒸す。 発芽させると甘みが増し、かつ柔らかくなるので調理時間も短くなって便利だ。
今では全ての豆、つまりひよこ豆やレンズ豆や雁喰豆や、、は発芽させて食べている。発芽させた豆の何粒かは、植木鉢で育てている。

こうやって見みると私の台所に置いてある食材は、葉野菜・根菜は当然のこと、ほとんどのものが生きている。 動物性食材で置き換えれば、豚や鶏が食べられるのを待って台所でうろうろしているようなものだ。

大豆もやしを蒸し始めた当初は、何を感じることもなく鍋に火を入れていたが、大豆が生きていることを実感して以降、点火する時に何らかの感慨に襲われる。 こいつら、蒸し殺されるんかぁ、と。
玄米を茶碗に盛って発芽している米粒が目につくと、お前、茹で殺されたんか、と思う。

豆も玄米も古くなると発芽率が落ちる。 つまり人知れず死んでいる。 私が安らかに眠っている部屋で、保存ビニール袋の中で、一粒また一粒と力尽きて日毎に死んでいる。

冷蔵庫の野菜室に入れた人参は、非常にゆっくりと芽を出してくる。 私は人参を使う時、しなびやすい尻尾の方から切って使っていく。 昨日使った時より今日の方が少し芽を伸ばしている。 明日使う時の方が今日よりも芽を伸ばしているだろう。
人参からすれば何とか生き延びようとして芽を伸ばしているのだけれど、尻尾の方から少しずつ切断されていっているのだ。 自分に当てはめて考えれば恐ろしい事態だ。

やはり食材は丁寧に扱い、大切に食べなければと思う。


ここで言う生きているとは、個体として生きているということで、細胞が生きているということを意味しない。細胞レベルで見れば、生肉も生きているということになる。