人生には自分が実際に経験しなければ思いつかないことがある。
私が小学生のころ、よく母方の実家に泊りがけで遊びに行った。朝起きて 居間に行くと、70歳に達しない祖父がニュースを見ながらコタツで朝食を食べていた。食事はいつも同じで、簡単な和食であった。食事の最後に味噌汁を食べることになっていて、視線をテレビにやりながら、お箸でみそ汁の具をかきこんでいた。子供のことなので遠慮なく見ていると、祖父は食べたお汁を口から垂らして、汁椀で受けていた。
泊まりに行くたびに、いつも同じ光景を目にした。それは子供心にとても不思議な光景だった。口に入れたお汁を口から垂らしてまた汁椀に戻しているのだ。
私は、50歳を過ぎたころから皮膚の感覚がとみに鈍くなってきた。口の周りにご飯粒が付いても分からなくなることが多くなった。あれは50代の半ばくらいだったろうか。自分ではうまく飲んでいるつもりの汁物が、実際はこぼれて服を汚していたのは。唇の感覚が鈍くなって、汁がこぼれているのを感知できなかったのだ。
そのとき突如子供のころに見た祖父の味噌汁の光景がよみがえった。そしてすぐさま了解した。祖父もこうだったのだ。つい数年前までは汁が口からこぼれるのを唇が感知できないなどという事態を想像することもできなかった。もちろん小学生の私には。
そしてしみじみ思ったのである。人生には実際に自分が経験しなければ、思いつくことさえ難しいことがあるんだなぁ、と。そして、経験してしまえば何の違和感もなく了解できることがあるんだなぁ、と。
当事者、おそるべし、である。