imakokoparadise’s diary

科学的エビデンスを最重視はしません。 エビデンスがなくとも論理的に適当であればそれを正しいと仮定して進む。私の目的は、得た結論を人生に適用して人生をより良くすること。エビデンスがないからと言って止まってられない。 目的は、皆の不安を無くすこと。

博物館のレプリカ レプリカを見て感情移入できるか

エチオピア国立博物館に行ったとき、人の進化に興味のある人なら誰でも知ってるであろうルーシーの化石と感動の対面を果した。横たわった形で安置され、透明のケースがかぶせてあった。不確かな記憶だが、説明ラベルには、レプリカと表示されていたと思う。

 

ルーシーに限らず、しばしば貴重な展示物はレプリカになっている。最初のころは多少興ざめしていたが、よくよく考えれば、研究者でもない私が、本物を見なければならない理由は何もない。粉末試料を作って検査したり、エックス線写真を撮るわけでもない。外見が酷似していればそれで十分に役に立つ。ああ、こういうものか、と眺めるのが関の山だろう。

 

しかし、偽物を見て、ヒトの黎明期に思いをはせれるのか。偽物を見て、ロマンを掻き立てられるのか。

 

それはこちらの気持ち次第なのだと思う。極端なことを言えば、その辺に転がっている石を見て、数千万年前にその石ができた時代に思いをはせることだって出来るだろう。こちらはレプリカではなく、オリジナルなのだから。

そのことを思えば、オリジナルそっくりに作られたレプリカを見て、ロマンを掻き立てるほうが容易だと思う。要はこちらの気持ち次第なのだから。

わざわざ現地に行き、入場料を払って、お膳立てされたレプリカの展示物を見る。そこまで雰囲気づくりをしたのだから、ロマンだって、掻き立てられると思う。

 

以上、あまり下調べをせずに、楽しみにして見に行った展示物がレプリカだった時、不満に思う人を時々見かけるので、そのことについて考えてみた。

 

追記  最初、タンザニアで見たトルカナボーイの化石がレプリカだったと思って、当時の写真を確認してみると、ラベルにはレプリカと書かれていなかった。記憶違いだったかと思って、ルーシーのラベルの写真を確かめようとして、初めて気づいたのだが、写真のアップロードに失敗していて、エチオピアの博物館で撮った写真すべてが見つからなかった。

私は、モロッコとイランで撮った建築の写真、数百枚のアップロードに失敗していて、気分が悪くなるので、なるべく考えないようにしているのだが、こんなところで思い出させられてしまった。軽い吐き気がする。