imakokoparadise’s diary

科学的エビデンスを最重視はしません。 エビデンスがなくとも論理的に適当であればそれを正しいと仮定して進む。私の目的は、得た結論を人生に適用して人生をより良くすること。エビデンスがないからと言って止まってられない。 目的は、皆の不安を無くすこと。

雑感 評論「武蔵野」国木田独歩1898年刊 2025年5月2日

心象風景それ自体を対象にして描写された日本最初の文学作品ということを知ったので読んでみた。簡単に言うと初めて内面が書かれた作品のことである。

 

ただただ武蔵野の美しい風景を作者の感じたままに書き連ねているのである。今日から見ると、盛り上がりもなく、序章だけで終わってしまったような作品である。歴史的価値はあるが、観賞する価値はなさそうである。

感じたままに、とは、古典からの引用なしに、ということである。江戸時代までの知識人にとって、教養とは古典を熟知していることであった。和歌や紀行文を書くとき、古典からの引用をいかに言いたいことにひきつけて表現できるかが大切であった。ある単語、ある表現は、それが使われた過去の作品のイメージを想起させるので、そのイメージを利用して簡潔に表現できた。短い言葉の中に複数のイメージを添付できた。つまり古典を知らなければ、表現された意味をくみ取れなかった。

 

独歩の「武蔵野」はそんな知識は一切不要である。日本語が分かれば作者の意図が理解できる。

 

別の見方をすれば、有閑階級にしか獲得できなかった古典知識、それ無しでも作品が読め、作品を書けるようになった。そういう意味でも明治時代は四民平等になったのだと思う。時代の流れに叶っていた。二葉亭四迷が口火を切った言文一致もそれを加速した。

 

内面について、または外界の現象に対する接し方

 

現象の対して

1 印象でとらえる。「それはどんな感じか」

2 観察する。事実を見る。「それは何か」 科学の前提

3 因果を考察する。「それは何故か」  科学の始まり

 

1の「印象でとらえる」、は更に2つに分けられる。

 1)独自に価値づける。ロマン主義印象主義

 2)世間の価値を借りて表現する。短歌、世俗的表現

 

独歩の「武蔵野」は、無教養だと思われていた「独自の表現」を価値のあるものだとして初めて社会に提出したのである。それはヨーロッパの権威を借りて可能だった。

以後多くの表現者が独創性を競うことを可能にした。