imakokoparadise’s diary

科学的エビデンスを最重視はしません。 エビデンスがなくとも論理的に適当であればそれを正しいと仮定して進む。私の目的は、得た結論を人生に適用して人生をより良くすること。エビデンスがないからと言って止まってられない。 目的は、皆の不安を無くすこと。

仮説 嬉しい と言う感情

嬉しいは関係の中で獲得された感情だ 。嬉しいの特徴はまず何よりも他力であることだ 。他者に受容されてると感じた時に嬉しいという気持ちが生じる。 通常、受容感は会話によって得られる 。受容感の由来は身体接触だろう。 サルはグルーミングによって受容感を表現するが人は言葉でそれを表現する 。だから会話とは身体接触の延長なのだ。 言い換えると 会話とは抽象空間で行われる身体接触だ。

一度この感情を獲得すれば対象は必ずしも人でなくてもよくなる 。例えば キノコ採りに行って舞茸を見つけた時 とても嬉しい 。この時も最終的には他力に頼ることになる 。どれだけ頑張っても 最終的には 自力でどうしようもないところに嬉しいは存在する 。嬉しいという感情はギフトなのだ。 故に嬉しいという感情は一人だけでは 得ることができない。

なぜこの感情を獲得したのか。 予想するに楽しいという感情だけでは人を結び続けていけなかったのだと思う 。完全に既知だと思っている相手には楽しいという感情が生じない 。しかし嬉しいはその時々に受容されていると感じれば生じる感情だ。 既知か未知かは問わない。 故にいつまでも相手に与えることができるし、相手から与えてもらうことができる。関係し続けていける。仲間であり続けていける。

受容されているという感情は安心感を生み、安心感は快感情だ。 だけど安心感だけでは仲間づくりに弱いので、嬉しいという感情を添付したのだと思う。 受容されてる-嬉しいー快、というふうに。