imakokoparadise’s diary

科学的エビデンスを最重視はしません。 エビデンスがなくとも論理的に適当であればそれを正しいと仮定して進む。私の目的は、得た結論を人生に適用して人生をより良くすること。エビデンスがないからと言って止まってられない。 目的は、皆の不安を無くすこと。

ガリフナの村 リビングストン

24日 月曜 リビングストンに移動。船でしか行けない陸の孤島ガリフナの村。奴隷を経験したことのない黒人の子孫たち。 伝統的家屋
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小型ボートで30分。車が、狭い村の中を結構な数が走っている。小さな桟橋しかないので、どうやって運んだのだろう。一台ずつか。 地元の人は外食しないようで、普通の食堂がない。トリとポテトの揚げ物の屋台と家の入り口で焼いているトルティーヤ屋ぐらい。バナナやオレンジ、リンゴが売っているが、どれも船で運んできたものだという。少し高い。今までどうやって暮らしてきたんだろう。バナナくらい、栽培しろよって思うけど。ただ港に行くとシイラムロアジ?に似た80センチ程の魚を開いて大量の塩を揉み込んで樽に浸けていってた。漁師はこれで食えそうだけど、他の人はどうしてるのかな。
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飲み屋が多く、昼間から大音量で曲を流している。もう信じられない。この人たちの頭の中はどうなってるのか。大音量で混沌としているのではないか。でも夜9時に店が閉まった。早いな。(ところが翌日は夜中2時まで続いた) それにしても何故こんなにグアテマラは酔っ払いが多いのか。日本だと、小さな村でこんなにへべれけの酔っぱらいを見かけない。昼間からフラフラ歩いているのだ。若者から爺さんまで。今日の朝もプエルトバリオスの宿の前で、爺さんが寝小便をしたまま寝ていた。予想されるのは、今のグアテマラの田舎は日本の60年代のように、急激に社会が近代化しているのではないかな。つまりコミュニティーが崩壊していってる。だから今までは受容できた人たちを包摂出来なくなってきた。そういう人たちが自尊心を保てずに投げやりな行動に出たりしている。内戦をずーっと経験していたけど、コミュニティーはどうだったのかな。むしろそんな時ほど強くなるのかもしれない。 ガリフナは奴隷の経験がなく誇り高いってウィキに書いてた。気持ちはわかるけど、奴隷になったのは本人の意思じゃないんだから、本人の責任じゃないんだよね。だから奴隷から解放されて誇り高く生きても何ら矛盾がない。むしろ奴隷を使ってた人たちが誇り低く生きてる、って言うのなら分かるけど。 昼間は暑いので、日が暮れてから村人が通りに出てくる。女たちが集まっていて、この暗いなかで何をしているのかと思えば、編み込みの髪のエクステンションをつけていた。わたしの偏見だけど、黒人女性って、髪の毛のおしゃれに凝ってると思う。 25日 火曜 海岸沿いの道をどん詰まりまで歩いた。畑は無かった。果樹園もなかったが、家のまわりにはマンゴーの木がたくさん植えられていた。何故かパパイアはなかった。気候か土壌が合わないのだろう。バナナもほとんど無かった。不思議。(後日、山方面に歩くと、多くのバナナが家のそばに植えられていた。水はけの関係かもしれない。)庭も含めた家の回りを有刺鉄線で囲っているけど、牛の放牧もしていない。こんな田舎なのに泥棒よけか。鶏の放し飼いと、豚の放し飼いを時々見かけた。なぜ畑をしないのか。土壌が合わない、または栽培をする習慣がない。どんな土壌でも、普通なんか作るでしょ。後者だとすれば、魚を獲って、インディヘナと物々交換してたのかもしれない。 ガリフナの村と思って来てみたが、黒人はそれほど多くなく、混血も含めて過半数になる感じ。しかも多くの人がスペイン語を話している。これじゃ、あと2~30年もしたらグアテマラガリフナの文化も途絶えそうだ。ただ、ここは町なので外来者が多く、言葉もスペイン語に押されているのかもしれない。 意外なことは、インディヘナが2割程いて、家先でトルティーヤを売ったり、露天を出したりしている。商売チャンスを狙って移住してきたのか、ガリフナが来る前から住んでいたのか。たぶん後者かな。商売をするために家族で移住って、リスクが多すぎるよな。まずは男が来るでしょう。 インディヘナだと私が認識できるのは、ひとえに民族衣装を着てるからで、すべての民族で男のほうが先に民族衣装を脱ぎ捨てる、つまり私が認識しているインディヘナとはほぼ全てが女の人。トルティーヤを売っているのも女か娘。男は何をしているのだろう。ラディーノと区別がつかないから分からない。よほどの山村に行かないと今では民族衣装を着た男に出会うことはない。 だからと言って顔、体つきでは判断できない。本人はラディーノ(混血)だと思ってる可能性があるからね。所詮民族なんて幻想だから。思ったもの勝ち、もしくは思ったもの負け。 26日 水曜 今日は山に向かって歩いてみた。黒人のガリフナは見かけず、インディヘナばかりに出会った。やはりガリフナは海の民か。 茹でた粒トウモロコシを子供が持って、ミキサー屋に行くのをよく見かけた。トルティーヤを作るためだ。トウモロコシを栽培しているのを見たことがないから、乾燥トウモロコシを船で運んできたのを買っているのだろう。食料生産してないから割高になっている。 トウモロコシを栽培しないインディヘナ。気候の問題で栽培できないのか。暑すぎて不適地ではあるけど。 策で囲った草地に牛の放牧を見た。グーグルマップの航空写真で見ると、山側にかなりの草地がある。きっと放牧場だろう。切った木は薪材として売れる。どういう規制がかかってるのかな。シェラでは山地の伐採は違法だったけど。きっとここでも同じだろう。 バナナ、マンゴーの他にカカオ、
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ココヤシ、レモンをよく見かけた。が、畑はない。 近辺にはドールやチキータが契約している大バナナ農園があるだろうと言うのに、ここでは普通の黄色いバナナ12本で10ケツァール、1本買いだと1ケツァールもした。プエルトバリオスも同じ値段だった。シティでは12本で8ケツァール。何でバナナの集散地のほうが高いんだろう。買い占めているのかな。よく売れて数が足りないのか。まさかボラれてるんじゃないだろうな。 たぶん町で1つの給油所が、船の給油所と兼用しているので、小さな埠頭(本当に小さい)に車や単車が入れ替わり立ち替わりやって来る。港町の出来始めって、こんなもんなのか。 ここでも携帯が行き渡っている。大人から若者まで、画面を見続けている。隣に人がいるのに。ってその隣の人も携帯を触っているからそれで良いのか。 携帯って世界ほぼ同時に普及したんじゃないかな。グアテマラではまだネットできるスマートフォンは少数派だけど、価格競争が激しく、今なら400ケツァールも払えば買えるので、次の買い換えで普及率が上がるだろう。メキシコでもグアテマラでも、乳幼児が側にいるのに相手もせずに携帯に没頭している母親をたくさん見た。これじゃ、幸せな子供が育たないな。 グアテマラシティで泊まったユースホステルでも同じ。各国の旅行者が話もせずに、パティオに座って、黙々とネットを見ていた。つぎの予定地を調べてるというのもあるだろうけど、誰とも喋らない。喋りかけて冷たくあしらわれるのが怖いのは何も日本人だけではなさそうだ。コミュニケーション能力の低下は先進国共通の問題なのかな。朝食つきのホステルだとどうしてもそこで会話するので最初のハードルが越えられて顔見知りになることが多いけど。 若者はみんな集まって、各自でゲームしてる(ネット接続してない)ようだけど、大人はメールしてる人が多い。まだまだコミュニティーが崩壊してないと思われるのに、どうしてそんなに人と繋がっていたいんだろう。不安の高まりは世界的現象なのかな。日本の学級崩壊が都市部だけでなく、農村部でも同時進行したように。社会の変化が速いのかな。ヨーロッパが百年かけて実現したことを、日本は三十年で実現したから社会の歪みが大きくでた(例えば公害、例えば出稼ぎによる3ちゃん農業、その後の過疎化)、って言われてたけど、きっとグアテマラの変化ってもっと急速なんだろうな。 たぶん村で1つのパン屋が宿の向かいにあって、家族総出でやっていて、夜中から仕事をしている。一度なかを覗いたが、皆きびきび作業をしていた。気持ちのいい職人のパン屋だ。日中は次から次と客が絶えない。味はふつうだが、買いに行くのがいつも楽しい。生地を捏ねるミキサーがまた強烈な音を夜中に出すのだけど。
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