imakokoparadise’s diary

科学的エビデンスを最重視はしません。 エビデンスがなくとも論理的に適当であればそれを正しいと仮定して進む。私の目的は、得た結論を人生に適用して人生をより良くすること。エビデンスがないからと言って止まってられない。 目的は、皆の不安を無くすこと。

映画評 レビュー 「街のあかり」アキ・カウリスマキ 2023年10月

フィンランドの監督の2006年公開の映画である。

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%97%E3%81%AE%E3%81%82%E3%81%8B%E3%82%8A

 

凡そのあらすじ

 

https://odakyuensen.blog.fc2.com/blog-entry-2309.html

 

監督の名前は聞いていたが、作品を観るのは初めてだ。映像はリアル感がある。カメラ目線が多用され、画面に多くのものを映し込まず、人物に近づいて撮った場面が多い。ほとんどの撮影は室内だ。それらのことが私もその場面に居合わせているような気持ちにさせる。

 

描かれているのは、主人公の生き辛さだ。孤独で、関係を作るのが下手くそで、独りよがりで。彼を利用するボスの女が何度も言うように、「ただの負け犬」である。主人公が何故そうなったのか、過去は一切示唆されない。ヘルシンキで一人で暮らし、仕事仲間からも相手にされない。深い孤独を生きている。

 

街のあかり、とは屋台の女のことだろう。主人公に思いを寄せている。が、主人公の好みではないようで、相手にしない。ボスの女に首ったけなのである。

 

映画の最後に、屋台の女の手を弱々しく握る。そのあとの展開は視聴者に委ねられている。

主人公の1年だけの出来事を描き、過去も未来も視聴者の想像に任せている。

 

私の想像は以下である。

 

フィンランドの田舎町で育ったが、両親との折り合いが悪く、高校卒業後すぐに家を飛び出した。実家とは連絡を取っていない。首都ヘルシンキで仕事を見つけ働き始める。今は健康で夜警の仕事を続けられるが、昇進もなく、賃金も安いので、今後のことを考えると不安である。軽いコミュニケーション障害があるので、友達も彼女もできない。

 

ここで、ボスの美しい女に出会い、映画が始まる。ボスの女に騙され、屋台の女の手を握ったところで映画は終わる。

 

その後、最初のうちこそ屋台の女と上手くいっているが、独りよがりなので、彼女も愛想をつかし出て行ってしまう。そして新しく探した職場で、以前と同じように働き始める。孤独に、独りよがりに。そのうち酒がすすんで体を壊すかもしれない。

そうやって年老いていく。

 

こんな人生を送った人がたくさん実在したはずである。悲しい話だが、人生とはそんなものである。

そんな人生の中で、騙されたとはいえ、きらめいた一瞬があった。それは主人公の人生に深みを与えたと思う。無かったより、あったほうが、ずっと良かったと思う。

 

追記

 

演出かも知れないが、ヘルシンキは何とも寒々としている。不要なものが無いというか、街並みが整然としていて、人間味が感じられない。かつ首都だというのに、どこかの地方都市のようにひっそりとして人が少ない。

現在のこの国が、一人当たりのGDPが日本よりずっと多い、というのも不思議である。