オタキングこと岡田斗司夫氏がユーチューブの自身のチャンネルで一押しのSF小説である。
以前同氏が薦めていた「夏への扉」がまあまあ面白かったので、読んでみる気になった。面白くなければすぐに止めるつもりでいた。
読み始めてみると、その展開の奇妙奇天烈さ、奇想天外さについつい引き込まれて読み通してしまった。
あらすじは以下である。
地球人が自分たちの意思で歴史を紡いできたと思っていたのが、実は遠い異星人の利益になるようにすべてコントロールされていた。それに気づいた主人公は最期にある結論に辿り着く。
誰の意図でコントロールされているにせよ、今自分を必要としている人のために生きればそれでよいのだ、と。
この構造を、異星人を神、と見立てれば、一神教の神と人の関係になる。人間の自由意志と思っていたものが、実は神の意志を体現しているだけだった。これを神の導き、と考えるか、神によるコントロールと考えるかの違いはあるが。
さらにこの関係を類推・拡大すれば、神でさえ異星人によってコントロールされている、とも読める。人が神と思っていたものが実は神ではなく、いかにも全知全能のように振る舞うように異星人にコントロールされた偶像だった。
また別の見方をすれば、人の自由意志と思っていたものが、実は遺伝子、更にはゲノムの力に過ぎなかった、とも読める。
いずれにしても、人の自由意志など存在しない、自由意志を過大評価するな、という警告である。
しかしこの小説の作者にとっての主題はここではないだろう。どんな力が作用して自分が動いていようと、今自分を必要としてくれる人の為に一生懸命に生きればそれでいいのだ、が主題だと思う。
私の座右の銘、「今ここパラダイス」にも合致する。
しかし私がこの小説に惹かれたのは、上記のようにその展開の奇想天外さだった。一体このような展開を思い付くには、どのような能力が必要なんだろうと思う。
ある事柄の中の、誰も思いつかなかった属性を見出して、ある事柄を全く別の集合に括る。イヌを石ころの集合に括るような力だ。
人は普段、論理的思考力あたりを評価するが、論理的推論はものごとの最適化に過ぎないと思う。誰でも到達できる。私が評価するのは、上記のような、ひらめき、思い付きである。それが難しいから、科学はしばしば失敗することによって新しい知見、ひらめきを得るのだと思う。