imakokoparadise’s diary

科学的エビデンスを最重視はしません。 エビデンスがなくとも論理的に適当であればそれを正しいと仮定して進む。私の目的は、得た結論を人生に適用して人生をより良くすること。エビデンスがないからと言って止まってられない。 目的は、皆の不安を無くすこと。

快を先送りする 利他 時間割引率 2023年5月

利他は私の主な関心の一つであり続けている。最近思ったことを書いてみたい。

 

時間割引率という概念がある。今の価値が一定の時間経過後にどれだけ減価するか、という概念で、例えば今の1万円が1年後にどれだけの価値になると感じるか、である。もっと分かり易く言えば、今1万円もらえるのと1年後に11000円貰えるのと、どちらを選ぶか、という話である。時間割引率の高い人は、1年後の減価率が大きいので、より高い金額を貰わないと引き合わないと考える。時間割引率の低い人は、減価率が小さいので、1万円に近い金額で満足する。

 

時間割引率は、経済活動の中での人の行動を説明する概念であるが、人間関係の中での、つまり社会の中での人の行動を説明する概念の一つに利他があると思う。

 

その共通項は、今得られる快を我慢して、未来のより大きな快を得ようとするところである。

時間割引率では、今の快を我慢して後回しにする人のほうが、結果としてより大きなリターンが得られることが数学的につまり経済学で証明されている。

利他では、今の快を選択する人、例えば身勝手な人は、長い目で見れば損が積み上がっていく。逆に、今の快を犠牲にして、共同体をよくするために関わっていけば、長い目で見れば住みよい社会になって、リターンが返ってくる。

 

つまりどちらも快の先送りが共通しているのである。別の言い方をすれば、経済概念である時間割引率の人間関係版が利他である。

 

では何故、一定時間後に価値が減価すると人は思うのだろうか。今の1万円より、物価上昇分を除いた1年後の1万円を安く感じてしまうのだろうか。

それは不確実性が増すからだと思う。今と同じ前提が1年後も続くかどうか分からない、という気持ちである。10年後、100年後ならなおさらだろう。だから社会の不確実性を強く感じる人ほど、時間割引率が高くなると思う。つまり社会の安定性を強く信じれる人のほうが時間割引率が低くなる。

だとすれば、社会の安定性を強く信じれる人のほうが利他しやすいだろう。孫の為に裏山に建築用の木を植えようと思うのは、50年後も同じような社会が続いていると信じれるからである。つまり自分が属している共同体が今後も続くと信じられるから共同体をより良くしよう、つまり利他しようと思える。社会のために働こうと思える。明日隕石が地球に衝突すると分かれば、近所の公園の掃除をしようとは思わないだろう。

 

人は社会の安定を信じきれないから目先の利益を追って時間割引率が高くなり、利他ではなく利己に走って社会基盤を毀損していく。

 

ではどうすれば社会の安定を信じれるのだろうか。もちろん経済はランダムウォークをし、先行きは分からず、社会はその影響を強く受ける。社会が安定するかどうかは実際は不明である。天変地異は誰も予測できないし、2022年2月のロシアによるウクライナ侵攻も予測するのは難しかった。

 

ここで問題にしたいのは、社会に対する肯定的なイメージである。

簡略して話を進めれば、社会に対するイメージ、つまり外的イメージは内的イメージの裏返しである。肯定的な内的つまり自己イメージを持っている人は、肯定的な外的イメージを持っている。肯定的な自己イメージを持てない人は、肯定的な外的イメージを持てない。外界とは所詮自己の延長である。

つまり社会の安定を信じるためには、肯定的な自己イメージを持つことが大切なのだ。

 

肯定的な自己イメージとは、自尊心、自己肯定感のことである。このことについては今までいろいろ書いてきた。

 

追記

 

利他とは時間軸を延長させた利己のことである。社会に益を成すことは、まわりまわって自分に返ってくる。人はそのようにして生き残ってきた。だから利他はゲノムに書き込まれている。

 

であるならば、損得は計算可能である。だから時間割引率も成り立っている。とすれば利他も計算可能である。故に経済学で扱える。