父はNHKのニュース以外ほとんどテレビを見なかったが、歴史が好きだったので、日曜夜8時からの大河ドラマは必ず観ていた。
あれは確か「樅ノ木は残った」(1970年)だと思うが、こんな場面があった。
戦国時代の下剋上の話である。一国の城主となった夫に城館から美しい庭を眺めながら妻がしみじみと言った。
昔は貧しかったけど、幸せで御座いましたね
小学3年だった私はその言葉に衝撃を受けた。そんな事があるのだ、と。そしてとても悲しくなった。
ときは高度成長期の真っ只中である。社会には活気があり、これから増々豊かになっていく、という雰囲気があった。子供心にもそんな時代の空気は伝わっていたと思う。モーレツ社員という言葉をよく聞いたものだ。
それが、貧しかったときのほうが幸せだった、というのだ。じゃあ、みんな一生懸命に働いているのは何になるのだろう。そう思ったのである。そのことが虚しくて、悲しくなった。
城主の妻が放ったこの言葉は、今でも時々思い出す。そして強烈な虚無感に私を導く。
そしてまたこの言葉は、別の類推に私を導く。
昔は若くてものを知らなかったけど、幸せで御座いましたね。
昔は人間関係のことがよく分からなかったけど、幸せで御座いましたね。