あの頃は若かったなぁ、という今の体力や気力の低下を嘆く感慨とは別に、あの時は若かったのだ、という過去の失敗に対する感慨がある。具体的に言えば、対応を間違えて人を傷つけてしまったときなどだ。
しかし我がことを振り返ってみると、若かったから間違えたのではなく、単に未熟だったからであり、考えてなかったからであり、相手の気持ちに共感できなかったからに過ぎない。
つまり若さのせいにして、自分の責任を認めたくないのだろうと思う。認知的不協和という不快を避けるために、つまり自分の責任を認めるという不愉快なことの代わりに、若さのせいにしてそれを回避しているだけなのだ。若かったから仕方がなかったのだ、と。
もし私が傷つけられた側だったら、若さのせい等にされてはたまったものではないと思う。
人は自分に都合の悪いことは、出来る限り直視せず、何とか自分の都合の良い解釈を見つけてしまうものだが、あの頃は若かったのだ、という都合のよい言葉はその典型だと思う。