imakokoparadise’s diary

科学的エビデンスを最重視はしません。 エビデンスがなくとも論理的に適当であればそれを正しいと仮定して進む。私の目的は、得た結論を人生に適用して人生をより良くすること。エビデンスがないからと言って止まってられない。 目的は、皆の不安を無くすこと。

エッセイ あの時は若かったのだ、という感慨 2022年11月

あの頃は若かったなぁ、という今の体力や気力の低下を嘆く感慨とは別に、あの時は若かったのだ、という過去の失敗に対する感慨がある。具体的に言えば、対応を間違えて人を傷つけてしまったときなどだ。

 

しかし我がことを振り返ってみると、若かったから間違えたのではなく、単に未熟だったからであり、考えてなかったからであり、相手の気持ちに共感できなかったからに過ぎない。

 

つまり若さのせいにして、自分の責任を認めたくないのだろうと思う。認知的不協和という不快を避けるために、つまり自分の責任を認めるという不愉快なことの代わりに、若さのせいにしてそれを回避しているだけなのだ。若かったから仕方がなかったのだ、と。

 

もし私が傷つけられた側だったら、若さのせい等にされてはたまったものではないと思う。

 

人は自分に都合の悪いことは、出来る限り直視せず、何とか自分の都合の良い解釈を見つけてしまうものだが、あの頃は若かったのだ、という都合のよい言葉はその典型だと思う。