今年1月から咲き始めた胡蝶蘭の花が6月初めにほぼ落花し終わった。1ヶ月ほど前から花が散り始めたのだが、それに前後して葉の付け根からの発根と、頭頂の新葉の芽吹きが始まった。
ひとつのことが終わると別のことが始まる。別の言い方をすると、開花させながら、根を伸ばすことが出来ない。葉を成長させることが出来ない。持てるエネルギーを一つのことにしか注げないのだ。
つまり精いっぱい生きているということだと思う。
ベランダの鉢に雑草として生えているカタバミは、冬を除く通年、葉を伸ばし、花を咲かせ、種を飛ばし続けている。
胡蝶蘭から類推するに、カタバミも持てる力の全てを成長に費やしているのだろう。
ベランダのジャガイモは余った力を地下に蓄えている。
ヒトは持てる力の全てを成長に費やしていないだろう。力が余ったからと言って、貯蔵することもない。
胡蝶蘭やカタバミが持てる力の全てを成長には費やさない、と言うことがどういう状態なのか想像できない。生き物の基本形は持てる力の全てを成長に費やすことなのだろう。
ヒトはかなり特別な場所に立っていると思う。余裕ができた、と言えるが、余裕が生まれたことによって、精神的に苦しんでいるともいえる。