imakokoparadise’s diary

科学的エビデンスを最重視はしません。 エビデンスがなくとも論理的に適当であればそれを正しいと仮定して進む。私の目的は、得た結論を人生に適用して人生をより良くすること。エビデンスがないからと言って止まってられない。 目的は、皆の不安を無くすこと。

すこやかに生きる 植物は精いっぱい生きている

今年1月から咲き始めた胡蝶蘭の花が6月初めにほぼ落花し終わった。1ヶ月ほど前から花が散り始めたのだが、それに前後して葉の付け根からの発根と、頭頂の新葉の芽吹きが始まった。

ひとつのことが終わると別のことが始まる。別の言い方をすると、開花させながら、根を伸ばすことが出来ない。葉を成長させることが出来ない。持てるエネルギーを一つのことにしか注げないのだ。

 

つまり精いっぱい生きているということだと思う。

 

ベランダの鉢に雑草として生えているカタバミは、冬を除く通年、葉を伸ばし、花を咲かせ、種を飛ばし続けている。

胡蝶蘭から類推するに、カタバミも持てる力の全てを成長に費やしているのだろう。

ベランダのジャガイモは余った力を地下に蓄えている。

 

ヒトは持てる力の全てを成長に費やしていないだろう。力が余ったからと言って、貯蔵することもない。

 

胡蝶蘭カタバミが持てる力の全てを成長には費やさない、と言うことがどういう状態なのか想像できない。生き物の基本形は持てる力の全てを成長に費やすことなのだろう。

 

ヒトはかなり特別な場所に立っていると思う。余裕ができた、と言えるが、余裕が生まれたことによって、精神的に苦しんでいるともいえる。