行為と快感情 1自尊心の高め方

自尊心とは自分には尊厳があると信じれる心のこととする



他者がいない世界で自分の責任を引き受ける、ということはあり得るのか

ある人が誰も知らない山奥にきのこを取りに行き、全てを自分で消費したら、そこに損や得は生じるのか

人間の行為は最終的に快を目的としている。 そういう視点から見ればすべての行為は快の為に手間を積み上げ、快を消費すること、となる。 その行為を一人ですることもあれば複数人ですることもある。 自尊心の危機は複数人で手間を積み上げ、そして消費する時に生じる。

何か一つのことを皆で達成する時、 そのための資源を皆で出し合わなければならない。 皆とは2人の時もあるし70億人の時もある。 資源とは時間・労力・お金などのことだ。 そして一つのことを達成した時、その成果を皆で分配する。快を享受する。

ここで問題なのは 一人当たりに課せられた資源がどのくらいなのか、 また一人あたりに割り当てられる成果がどのぐらいなのか、 が明瞭ではないことだ。 また全体を見渡せる人がいないか、いたとしても少数であることが、資源や成果の配分を難しくする。

最初の自尊心の危機は、資源を出し惜しみしてしまうことだ。 資源配分の曖昧なことをいいことに自分の割り当てから逃げようとする。
世に言われる格言、 目の前のことから逃げない、自分の人生を引き受ける、とはこの部分のことを言っている。

2番目の、そして最後の自尊心の危機は、割り当てられた成果以上のものまで手をつけようとすることだ。 つまり成果の配分量が不明瞭な上に、 全体を見渡せる人が少ないのをいいことに、他人の成果まで掠め取ろうとする。世に言う、欲深い、姑息な人のことだ。

つまり、快を得るため皆で集まって共同作業つまり作業分担をし、その結果快が創造され、その快を皆で共有つまり分割する。 このとき、作業分担と快分割のバランスを自分に有利に崩す。これが自尊心を低くするすべての原因だ。

資源の総量、 成果の総量に値段が付いていれば割り算もしやすいが、 そうでなければおおよその割り算しかできない 。 また分配する相手が成果の総量を知らないかもしれない。 そういう時こそ資源と成果の割り算を慎重にしなければならない。 この時にどう振る舞うかで、後ろめたい気持ちのない世界に住むことができる。それが自尊心を高めることになる。

要約すれば、全ての行為は快を目的としている。 それを一人で実行することもあれば複数人で協力することもある。 一人で実行した時にはそこに損も得も発生しない。 全てを自分が引き受けるしかないからだ。 複数人で実行した時に資源と成果の配分問題が起こり、損得感情に悩まされることになる。ここでどう振る舞うかが自尊心に決定的な影響を与える。つまり人生の生きやすさに関わってくる。

人を否定的に評価する言葉は 能力評価(つまり他人との比較)を除けば、他人に損を押し付け、他人の得を掠め取る行為に関わる言葉に収斂されると思う。人がなし得る悪行とは所詮自分の損得に関わることしかないのだろう。