二十年ほど前、テレビを見ていると、あるユダヤ教徒とおもわれるイスラレル人の若者のインタビューをやっていた。
いわく、世界に好かれて滅んでいくよりも、世界に嫌われても生き残ることを選ぶ、と。
どうしてパレスチナを併合するのか、に答えた文脈だったと思う。
それを聞いた時、少なくとも日本にいる私から見て、イスラエルは、知性的で、戦略的国家に見えた。どう見ても滅んでいく国家には見えなかった。
この危機感は、いったい何だろう。
そして思い至ったのが、ヨーロッパ人の根深いユダヤ差別だった。
不確かな記憶だが、2018年前後にあるニュースを読んだ。ニューヨークのユダヤ人組織が、私たちはイスラエルにいつか戻ることをやめて、ニューヨークに住み続けていいのではないか、という見解を公表していた。ニューヨークではユダヤ人差別を感じずに暮らしていけるようになっている。このままここに住んでも大丈夫ではないか、といった内容だった。
ユダヤ人が国際法に違反してパレスチナを併合しようとするのは、‘世界から’の差別による孤立から生き残るためには、パレスチナ人を犠牲にしても仕方がないのだ、という心理があると思う。