imakokoparadise’s diary

科学的エビデンスを最重視はしません。 エビデンスがなくとも論理的に適当であればそれを正しいと仮定して進む。私の目的は、得た結論を人生に適用して人生をより良くすること。エビデンスがないからと言って止まってられない。 目的は、皆の不安を無くすこと。

サザエさん症候群の乗り越え方

私が子供のとき、日曜日の午後六時半からサザエさんを放映していた。朝起きた時には、これから丸一日遊べるぞ、とワクワクしてたのに、サザエさんが始まる頃になると、楽しみにしていた休日がもう終わったしまう、とどんよりしたものだ。

話はサザエさんに限らない。時間をかけて一生懸命に作った料理、いただきます、と言って気が付いてみると、残りあとわずか。あれほど時間をかけて楽しみにして作った料理が、もう僅かしかない。なんとも虚しい気持ちに襲われる。

抽象化すれば、楽しみにしていたものが、気が付けばあと僅かになり、無駄に時間を使ってしまったような、虚しい気持になる。

別の言い方をすれば、ある目的のために、一生懸命に準備をした。いざ目的を楽しもうとしたら、すぐに終わったしまった。虚しい。

なぜこんな気持ちになるかといえば、目的は天国だが、準備は地獄だからだ。

目的の為にいろんなことを我慢して準備をしたのに、いざ目的を楽しもうとすると、刻一刻と時間が過ぎていき、時間の経過が気になって心から楽しめない。

さらに人生に広げて言えば、明日のために、今日を犠牲にすることだ。そして明日になれば、また同じことを思うのだ。明日のために、今日を犠牲にしなければ、と。つまり永遠に明日はやってこない。修行人生。

あしたのジョーは、あしたの為に、その1、と言ってパンチを出して練習していたが、上記の人生を生きたのだと思う。あすなろ物語

ではどうすれば修行人生から逃れられるのか。

答えは簡単である。準備を修行と考えずに、準備も楽しめばいいのだ。つまり準備も目的に組み込むのだ。具体的に言えば、目的は楽しいものに決まっているが、準備期間も、どんどん目的に近づいている、と喜んで楽しめばいいのだ。どんどんおいしい料理の出来上がりに近づいている、嬉しいな、と。

最終的には、準備も目的も関係なく、その瞬間瞬間を楽しく生きる、そう自覚することが、楽しい人生を生きる究極の方法だと思う。言ってみれば、準備期間が人生すべてに拡大されたのだ。では肝心の目的は。楽しく生きることである。

以上のことができれば人生は天国である。そしてそれはそれほど難しいことではないと思う。