imakokoparadise’s diary

科学的エビデンスを最重視はしません。 エビデンスがなくとも論理的に適当であればそれを正しいと仮定して進む。私の目的は、得た結論を人生に適用して人生をより良くすること。エビデンスがないからと言って止まってられない。 目的は、皆の不安を無くすこと。

楽に生きるか、楽しく生きるか

楽に生きるか、楽しく生きるか

前提

ここで言う、楽に生きる、とは、快適さを優先させて生きることです。すべての動物は快-不快原則に従って行動するようにプログラムされているので、それを目指すことはある意味当然です。楽は快です。

それに対して、楽しく生きる、とは、自分の価値に従って生きるということです。価値があると思えることの実現を目指す。自分にとって価値があることをしているので当然楽しい。例えば趣味に没頭しているときです。どちらも”楽”という字を使っているけれど、中身は全く異なります。

入口

世の中には、お金に一番の価値を置いてる人たちがいます。夢はお金持ちになること、とか。少し考えれば、そのお金を使って何かをしたいのだろうから、それを夢にすればいいのに、そうはならない。

本題

では何故そうはならないのでしょう。色々したいことはあるのだけれど、優先順位がついてないし、そもそも本気でもない。本気なら、お金持ちになる、なんて遠回りをせず、直接それを目指すでしょう。

実は本当にしたいことが無いからです。なぜ無いのか。

生きることが詰まらないからです。

なぜなら、”何をやっても、結局死んでお仕舞いでしょ”、と思っているからです。虚しさに包まれている。一生懸命に何かをするのが馬鹿らしい。

その想念”どうせ死んでお仕でしょ" が人生を虚しくし、価値に向かって進む力を奪っていく。

“どのみち死んじゃうんだから何やっても同じ、だったら楽して生きたいな”、になってしまうのです。もしくは、”楽になるために死んじゃおうかな”、なのです。

ここまで極端でなくとも、自分のしたいことに向けて一生懸命に進めない人は多かれ少なかれこの想念に囚われている。

これが表題の、楽をして生きる、の中身です。

ではなぜそんな想念に取り憑かれるのか。とても簡単な答えだけれど、それは自尊心が低いからです。もう身も蓋もない。

自分が持っている価値を信じれない人は、自分に価値を感じれない人です。自分に価値を感じれない人は自分がいることによって、世界の一部を変えれるとは思えない。つまり自分がいてもいなくても世界は何ら変わらない、と感じている。それは底抜けに恐ろしいことです。当然虚しくもなるでしょう。

出口

低い自尊心から抜け出す1つの方法は、以下の通り。

1 “今この瞬間が楽しければすべてOK”と、ことある毎に言い聞かせる。

2 これを言いながら、自己肯定感に包まれていくことを実感する。しあわせ感でもいいし、安心感でもいい。

3 これを繰り返して、日常的に、つまり無意識にこの空間に包まれているようにする。

これが出来るようになると、いつの間にか、虚しさや低い自尊心から抜け出せているはずです。

“今この瞬間が楽しければそれで良いのだ”、と言う感覚は、生きていくうえでの最後の砦だと思う。

そして、”生まれたからには楽しく生きるしかないでしょう”と思えるようになったら、それは最高に幸せなことだと思う。

余談

お金の稼ぎ方と使い方を、価値の実現と言う視点で分けると、

1 お金を貯めているけど、使いみちは決まってない。

2 お金のために働いて、余暇で自分の価値を実現する。

3 価値の実現を仕事にする。(とりあえず食べていけるなら、仕事にしなくても良いのだけれど)

この場合の1番は、自分の価値を信じていないという点で、お金持ちになりたい、という人と同じです。また数字が上がるほど、楽しく生きれるでしょう。

大切なのは、自分の価値をどれだけ信じれるか、です。

更に言えば、世界がどれだけ自分のものになっているかです。

言わずもがなですが、表題の私の答えはもちろん後者です。