“近所付き合い”と”外交”の違い
近所付き合いの延長で外交を考えてはいけない、とよく言われるけど、その理由がずっと分からなかった。
最近それが解決し、スッキリした。
近所付き合いをするときは、あまり深く考えず挨拶し、お喋りする。つまり無意識の影響を強く受けている。
ヒトは共同体を作って生き延びてきたので、それを維持するために、利他に行動するように動機づけられている。
近所付き合いでは、利害を深く考えないで関係を持つため、無意識の働く領域が増え、結果、利他性を帯びる。それがかっては共同体を維持してきた。
例えば、リターンを直接意識しない利他行為だと、道路に落ちてるゴミを拾う。
リターンを意識した利他的行為では、”リターンがあるでしょ”、ぐらいの軽い気持ちでおすそ分けをしたり、ついでに隣の溝を掃いたりする。
国家と国家が関係を結ぶ外交はもっと理性的だ。意識に上がってきたものだけで論理的に判断する。進化の過程で獲得した利他性が入り込む余地がない。知らないうちに利他行為をしてました、なんてことは起こらない。
“リターンがあるでしょ”ぐらいの軽い気持ちで国家予算を使えない、と言う最もな理由があるけれど、より本質的には無意識を排除したので利他性が失われたのだ。
もちろん戦略的にリターンを明確に意識した利他的行為は取れるけれど。
こういう作りになってる以上、リターンを意識した利他的行為も含めて、利己主義、または利国主義になってしまうのは、心情的に抵抗があるけれど、やむを得ないことと思う。