imakokoparadise’s diary

科学的エビデンスを最重視はしません。 エビデンスがなくとも論理的に適当であればそれを正しいと仮定して進む。私の目的は、得た結論を人生に適用して人生をより良くすること。エビデンスがないからと言って止まってられない。 目的は、皆の不安を無くすこと。

認識世界 1 フィードバック

21日 土曜 フィードバック作用とは、出力が入力に影響すること。

これだけ聞いてもピンと来ないけど、この概念をもとに壮大な物語が展開できる。

体験的にイメージしやすいフィードバックは、スピーカーの前にマイクが置かれている状態。まずマイクに音声を入れると、つまり入力、スピーカーから拡大された音が出る、つまり出力。その音をマイクが拾う、つまり入力。この時点で出力が入力に影響を与えてしまっている。で、拾った音がスピーカーから流れて、その音をまたマイクが拾って、を無限に繰り返して、たちまちキーンと言う音になる。

フィードバックは生物の生命維持に欠かせない。例えば動物の場合、五感が入力で、筋肉運動が出力。知覚(入力情報を統合、判断すること)できる動物は知覚も出力。もっと分かりやすく言うと、例えば感情や思索活動。

ヒトで考えると、寒くなると(入力)、からだがガタガタ震える(出力)。すると暖かくなってくる(入力)。この時点で出力が入力に影響を与えている。

熱いものに触ったとき、触るのは筋肉運動なので出力、熱く感じるのは入力、思わず手を引っ込めてしまう、出力。で、手が熱くなくなる、入力。フィードバックが成立。

細菌が体に侵入してきたときも同じ力学が働いて、しんどい、白血球が増加、細菌減少、その後白血球減少。

このように体温維持など生命維持のためにフィードバックは欠かせない。

認識においてもフィードバックは欠かせない。

対人の場合。

例えば道を歩いていて、向こうから人が来たとする。まず相手を見る、眼球の動きは(出力)、見るのは(入力)。”あっ、知ってる人だ”(出力)。この時点でフィードバックが成立。近づいて行く(出力)。相手がだんだん近づいて見える(入力)。笑顔をつくって(出力)、”こんにちは”と言う(出力)。相手も笑顔になるのが見え(入力)、こんにちわ”と言う、のが聞こえる(入力)。近くで立ち止まり(出力)、相手の顔を見る(入力)。

と言うようにこちらの反応が相手に影響を与え、相手の反応がこちらに影響を与える。視線、表情、体の動き、声色、もうバシバシのフィードバックの応酬。

向こうから歩いてきた人が、知らない人でも同じ。相手がどちらに避けて通るか、それによってこちらの進路を決める。狭い通路なら、相手のからだの動きを見て(入力)、こちらのからだの動きを決める(出力)。すれ違うときの、一瞬一瞬にバシバシのフィードバックの応酬。

対物の場合。

例えば目の前の机の上にコップがある。

まずコップに視線を移す。筋肉活動なので、出力。コップの1つの面が見える(入力)。どんな形をしているのかな、と思って(これは思索活動なので出力、この時点でフィードバックが成立)、少し体を動かしてみる(出力)。すると違うコップの面が見える(入力)。その事によって全体のコップの形をイメージする(出力)。

と言うように、フィードバックが効いている。

対物の場合で見たように、心に浮かんだことはすべて出力なので、以下のフィードバックが存在する。

目の前のコップを見る。ああ、コップがある、と思う(出力)。きれいなコップだな、と、しばらくコップを漠然と見ている、(入力)。確かこのコップは昔タイで買ったよな、と思い出す(出力)。その時の風景を思い出す、(風景自体は入力)。その風景が引き金になって、バンコクでのウキウキしてた気持ちが甦る、(出力)。すると突然なぜかバンコクの市場の風景を思い出した(風景は入力)。そう言えばいろんな魚が売ってたことを思い出す(出力)。

と言うように、1つの外的刺激が引き金になって白昼夢のようにとりとめのないことを次々と思い出すのもフィードバックが効いてるからだ。

ただし物理世界での入力は五感からしか入力のしようがないが(五感からしか情報を取り入れられない)、抽象世界(認識世界)では入力は無制限だ。心に浮かんだことすべてが入力になりうる。

上記のことを少し詳しく見ると、

まずコップに視線を移したのは、自分では自覚してないが無意識の何らかの欲求があったのかもしれない。だとすると無意識の欲求は出力になる。だからしばらく漠残と見ていた(入力)。このことを思い出したとき、無意識ではいろんな刺激を受けていたはずだ(入力)。で、結局、その時の風景を思い出す(思い出すのは出力)。そして思い出した風景が入力になって、バンコクでのウキウキしてた気持ちが甦る、(甦るのは出力、ウキウキした気持ちは入力)。このウキウキした気持ちは無意識をいろいろ刺激したはずだ(入力)。で、結局、バンコクの市場の風景を思い出した(思い出すのは出力、風景は入力)。

と言うように、意識と無意識の間もフィードバックが効いている。

さらに同じ構造が無意識の中でも存在する。

上記のことを少し詳しく見ると、

まずコップに視線を移したのは、自分では自覚してないが無意識の何らかの欲求があったのかもしれない。無意識の欲求は出力。で、コップを見る(入力)。確かこのコップは昔タイで買ったよな、と思い出す(出力)。この事を思い出したとき、無意識ではいろんな刺激を受けていたはずだ(入力)。ここまでは同じ。

意識上で、タイで買ったことを思い出したことは、そのまま無意識への入力になる。無意識ではこの事をきっかけに、意識上には出ないが、いろいろ刺激されているはずだ。買った時の気持ちが刺激されてるかもしれない(出力、かつ入力)。その時の気持ちが刺激されれば、同じような気持ちになったいくつかの別の場面が刺激されているかもしれない(出力、かつ入力)。いくつかの場面が刺激されたら、その中の1つの場面の思い出深い景色が刺激されているかもしれない。

と言うように、意識からの無意識への1つの入力が、無意識の中でフィードバックを起こし続ける。

つまり1つの入力で無意識は変化し続ける。

以上、物理世界と意識、意識と無意識、無意識の内部、で、それぞれフィードバックが働いている。それぞれのフィードバックは重なっているので、物理世界からの入力が無意識を変化させる。