imakokoparadise’s diary

科学的エビデンスを最重視はしません。 エビデンスがなくとも論理的に適当であればそれを正しいと仮定して進む。私の目的は、得た結論を人生に適用して人生をより良くすること。エビデンスがないからと言って止まってられない。 目的は、皆の不安を無くすこと。

美しさについて 認識世界

美しい、と言う感覚はなぜあるのか。どんなとき美しい、と感じるのだろう。均整がとれてるとか、理想形を意識したときだと思う。

ではどうやって理想形を獲得したのだろう。それは、たくさんの物を見て、その平均を理想形として認識しているのだと思う。例えばイヌと言う概念を獲得するとき、多くのイヌを見てその共通点を見いだしていく。その平均的な形を理想形として認識し、美しい、と感じるのではないか。

だとしたら、美しいと言う感覚は、概念の獲得を容易にする。つまりひとつの概念を獲得しつつあるとき、美しいと言う感覚で平均を押さえておくと、記憶するのではなく、感覚で概念を獲得できる。美は概念を固定する。

だとしたら、美しい、の反対概念は、醜い、ではなく、珍しい、になる。

平均値に与えた感覚が大切とかでなくなぜ美なのかは、もし大切と感じたら、平均から外れると、大切でない、と言うことになってしまうからだと思う。

どうだろう。違いますか。

かわいい、と言う感情獲得の理由は定石で考えると簡単だ。

どんなときかわいいと感じるのか、と言えば、自立できてない状態を想像させるときだ。

本来なら本能で子育てするところが、大脳が発達しすぎたために、かわいいと言う感情を獲得して、子育てから離れないようにしているのだろう。かまいたい、の遺伝子の感情型。