imakokoparadise’s diary

科学的エビデンスを最重視はしません。 エビデンスがなくとも論理的に適当であればそれを正しいと仮定して進む。私の目的は、得た結論を人生に適用して人生をより良くすること。エビデンスがないからと言って止まってられない。 目的は、皆の不安を無くすこと。

安らぎと宗教

私のことをあれほど大切にしてくれた人が死んでしまった。 今はもう何も喋らない。 これで終わりだなんて寂しすぎる。

死ねば全てが終わってしまのなら、この苦しみに満ちた一回きりの人生はあまりに不条理で不平等。


一般に宗教と言われるものを信じる入り口はいろいろある。 あの世であろうと輪廻であろうと、死後の世界の提示は人々に安らぎを与える。

※ここで言う宗教とは、中心内容に、存在や因果関係を証明できないものを含んだ考え

別の見方をすれば、人は自分に利益があるものを信じる。 まず安心したいという気持ちがあって、それに合致する考えを受け入れるのだと思う。
その考えに証明不可能なものが含まれていれば宗教、証明可能なものでできていれば科学、になるだろう。

証明はできないけれど人を安心させる考えは、以下の二つがあると思う。

1 死後の世界の存在 たとえこの世が苦しみに満ちていたとしても、死後の世界で安らぎが訪れるのなら、今の苦しみに耐えることができるだろう。 大切な人が死んだとしても、死後の世界で安らかに過ごしていると思えれば、寂しさに耐えることができるだろう。

2 今ここの大きな存在 今がどれほど苦しくても、誰かがずっと見守ってくれていると思えれば、生きる力が湧いてくるだろう。

生きることが苦であるとき、この二つの考えを信じられれば安らぎにつながると思う。

以下余談

・見解の対立があるが、原始仏教は上記の二つともが無かったという意見がある。だとしたら人々を安心させる力が弱かったと思う。 もし勢力拡大を意図したなら、教団後継者たちは上記二つの考えを取り込まざるを得なかっただろう。

・占い師とは未来のことを占う人のことだが、上記二つの事、死後の世界と見守る存在、には関わっていないように思う。占ってもらう人の興味の対象が近未来の現実的利益にあるからだろう。 もし死んだらどうなるかに興味があるのなら、別のところに行くのだろう。

占い師が未来を占う方法は二つある。
1 独力で未来を占う。 つまり超能力者という位置づけだ。 この場合、神の存在は必要がない。

2 大いなるものの力を借りて予知する。 つまり占い師は依り代という位置づけだ。 この場合大いなるものという超自然的な存在を信じていることになる。 卑弥呼やシャーマンはこの位置づけになると思う。

さて大いなるものには主体性があるのだろうか。
1) もしあると考えればそれは必ず因果応報的に働く。 良い行いをすれば悪いことが起こるというのは受け入れられないからだ。 故にもし主体性があるとすれば、良いことをすれば良い報いが起こる、ということになる。 良いことをすれば褒められて、悪いことをすれば罰せられるというのは、家父長的な関係だ。 大規模定住化社会以降ほとんどの社会は父権社会なので、大いなるものとの関係を、自分が属する社会の延長として捉えるのは容易だっただろう。
2)主体性がないと考えれば、つまり見守るだけだということになる。 あえて言えばカウンセラー的関係ということになるが、見守るだけの存在が、依り代を利用して影響力を行使するのは自己矛盾なので、この仮定はありえないことになる。

大いなるものに主体性があるとすれば、それはどのような性格を持ち合わせているのだろうか。 必ず因果応報的に働くとすれば、強い信賞必罰と弱い信賞必罰がありえる。 強い信賞必罰は他の主体性とは同居しにくい。 強い罰を嫌う人々がどちらを信じていいか分からなくなるからだ。 故に強い信賞必罰が一神教を作り出したと思う。

・シャーマンを通して見える大いなるもの
シャーマンとは以下の能力のどれかを持ち合わせていると思う。
1 治療 大いなるもののプラスの力を借りて施術する。 または体にとりついた大いなるもののマイナスの力を追い出す。
2 厄払い 大いなるもののマイナスの力を鎮める。
この二つが同居するシャーマンがいれば、大いなるものはプラスとマイナスの両方の力を持っているという前提になる。 それは因果応報的つまり良い行いをすればプラスの、悪い行いをすればマイナスの力を行使するという考えにつながる。

3 お告げ 未来を教えてもらうこと。 つまり大いなるものは未来を知っていることが前提となっている。
4 祈祷 願いを叶えてもらうこと。 つまり大いなるものは、未来を変える能力があることが前提となっている。
未来を知っていて、かつ未来を変えれるとは、全知全能のことだ。 全知全能は一神教の神の特徴である。 一神教は宗教の中で非常に特殊な宗教だが、シャーマンを通して見える神の能力の中に、すでにその特徴が見えるのが興味深い。

ではその大いなるものは、何ゆえに大いなるものとして認識されるのだろうか。

シャーマンに、1治療や2厄払いの力を与えることができる存在とは、病・火事・地震・暴風雨など、日常生活で禍福を起こす原因となる力を持つと信じられる必要がある。究極的には森羅万象を司る存在としてイメージされるだろう。しかし行使できる力は今に限られる。風神や雷神は、今しか風や雷を起こせない。明日の風は明日になってから起こすのだ。

シャーマンに、3お告げや4祈祷の力を与えることができる存在とは、私たちの願い事を叶える力を持つと信じられる必要がある。究極的には過去から未来までを操作できる全知全能の存在としてイメージされるだろう。