ルポルタージュと時代の変遷

今から30年ぐらい前までは、事実によって真理を語らしめよ、という態度が少なくとも一部の人々の間では共有されていたと思う。
具体的に言えば、なるべく筆者の価値観を入れず、かつ感情も抑えて事実を積み上げることによって筆者の主張を表現する。
読者からすれば、描かれた事実から自分で考えて真理に到達する努力が必要となる。
現在そのようなことが可能な知的レベルの層、もしくはそのような心の余裕のある層がマスとして存在するとは思えない。
読者に自ら考えさせ結論に到達するような文章を書いていては、読者の忍耐が続かずに逃げてしまう。

私もネットから情報を得るとき、最近は文字情報より、イメージしやすい動画を好むようになっている。 文字を読んでイメージを立ち上げ、動かすことが面倒なのだ。

こういう時代にはルポルタージュも結論まで明示しておかないと読者がついてこないと思う。

ルポルタージュとは社会の改善を意図して事実に即して構成された文章のことだ。
主観をなるだけ排して事実によって表現するという手法は、その方がより説得力が増すから採用された手法だと思う。
しかしその目的はすでに有効ではなくなっている。説得力云々よりも、そもそも読まれなくなってしまう。 故に手法を変えて良いのだ。
かってのような手法のルポルタージュはすでに死語になっているかもしれない。