imakokoparadise’s diary

科学的エビデンスを最重視はしません。 エビデンスがなくとも論理的に適当であればそれを正しいと仮定して進む。私の目的は、得た結論を人生に適用して人生をより良くすること。エビデンスがないからと言って止まってられない。 目的は、皆の不安を無くすこと。

誤解から始まる不仲な関係

近い関係なのだけれど、仲の良くない人たちをよく見かける。それぞれの人と話して、私がしばしば不思議に思うことは、どうしてこの人とそんなに不仲になるのだろう、ということだ。

それぞれに相手の気に食わないところを聞いてみると、また実際にその場面に立ち会って分かってきたことがある。

始まりは、何ということのない誤解なのだ。相手が何気なく言った言葉が、説明が足りなかったために、自分を見下しているように受け取ってしまった。相手の何気ない態度が、自分を馬鹿にしたように受け取ってしまった。例えば、挨拶のすれ違い。

全くの誤解なのだが、された本人にしてみれば、”なんだ、こいつ ”になってしまい、相手に言葉を返すとき、その感情が表現されてしまう。または態度に出てしまう。それを見た相手は、”えっ、何だこいつ ”となる。あとは誤解の増幅である。増幅して定着する。不仲の確定である。

この過程に陥る人には特徴がある。自己肯定感が低いことである。自己肯定感が低いので、相手のちょっとした言葉に過剰に反応する。俺のことを馬鹿にしやがって、と。自己肯定感がある程度高ければ、人の評価をあまり気にしないので、そもそも過剰に反応する必要がない。自己肯定感の低い人は、もともとスタンバっているので、待ってましたとばかり、俺を見下しやがって、という気持ちに陥ってしまう。

始まりの見下しは誤解であっても、増幅時は本心になっているので、あとはもう不仲の確定しかない。

これを防ぐ手立ては、敵意や見下しを相手の言葉に感じても、常に平静の、つまりいつものように対応することである。そのことによって、相手に、”あれっ、俺の勘違いか ”と気づかせることだ。しばらくは敵意ある言葉で対応していた相手もそのうち元に戻っていく。

戻らない場合は、相手は確信犯である。こちらの対応を変えても相手は変わらない。であるなら、気にしてもしょうがない。相変わらずいつも通りに接っし続けるか、無理ならさっさと遠ざかることである。