imakokoparadise’s diary

科学的エビデンスを最重視はしません。 エビデンスがなくとも論理的に適当であればそれを正しいと仮定して進む。私の目的は、得た結論を人生に適用して人生をより良くすること。エビデンスがないからと言って止まってられない。 目的は、皆の不安を無くすこと。

トイレの有料化について。

トイレの有料化について。メキシコからここまで、トイレはすべて有料だった。イギリスもおなじ。無料で公衆トイレを利用している日本人には抵抗があるが、例えば日本の地下街の無料トイレの維持費用を誰が払ってるかと言うと、そこに入居している店舗だ。で、店舗はどうやってその費用を捻出しているかと言うと、価格に上乗せしている。つまりトイレを使ってない人もトイレ維持費用を払ってることになる。もっと言えば、店を利用せず、トイレだけ利用してる人の維持費用分を、トイレを利用しないで商品を買った人が払ってる、とも考えられる。利益者負担と言うことを考えれば、使用時にお金を払った方がスッキリする。

ただ多くの有料トイレには掃除人が1日張り付いていて、掃除をしている。つまりこの人の日当を確保しないといけないので、必要以上の利用料がかかっている。巡回式にすれば良いと思うのだけど。治安の悪いところでは、防犯の役割もあるのかもしれない。

つまりタダだと思って喜んでいたら、思わぬところに落とし穴がある。インターネットとか。

似たようなことだけど、観光客が教会に入るときに、何の注意書きもない教会がよくある。そうか、何をしてもいいんだな、と思って、集団で大きな声でお喋りをしながら入ってきて、膝間付いてお祈りをしてる信者の横を通りながら、フラッシュをたいて写真をバンバン撮る。だって、なにも書いてないじゃん。

その結果がどんな風になってるかと言うと、例えば教会内の写真撮影の禁止。例えば入場者数を減らすための有料化。ただ有名な教会はお金が欲しい故の有料化もあるかもしれないが。

つまりなにも規制がないから、好きなように振る舞うと、そのあとに不必要な規制を作られてしまい、全体で見ると、もしくは後から来た人から見ると不利益を被ってしまう。上記の例で言えば、信者に気を配りながら、静かに、かつフラッシュをたかずに写真を撮っていれば、何ら規制は必要なかっただろう。先人のお気楽で考え無しの行動が、後人に不利益を与える。

ただ教会の観光について言うと、無神経な観光客も自分の町の教会に行くときはたぶん騒々しくしてないだろうし、膝間付いてる信者を不愉快にさせるようなことはしてないと思うのだけど、旅行だからついつい高揚してしまうのだろうか。