imakokoparadise’s diary

科学的エビデンスを最重視はしません。 エビデンスがなくとも論理的に適当であればそれを正しいと仮定して進む。私の目的は、得た結論を人生に適用して人生をより良くすること。エビデンスがないからと言って止まってられない。 目的は、皆の不安を無くすこと。

先住民とキリスト教

画像
こちらに来て生まれて初めて教会に入った。静かで神聖な雰囲気だった。だけどとても違和感も感じた。 先住民度の高い(先住民の血が濃い)と見える人たちが熱心に祈っている姿をよく見かける。大まかに言えば、先住民度が高い人ほど社会の底辺にいるように見える。例えば工事現場に行くと日雇い労働者が仕事が始まる前に現場で待っている。順に声を掛けられて、中に入っていく姿を見た。あぶれる人も。彼らは例外無く背が低く、色が黒かった。 教科書風に言えば、被支配者が、支配者の宗教を熱心に受け入れている。メキシコに来たとき、この事にひどく違和感を感じた。でもしばらくメキシコで暮らしてるうちに、思い過ごしかな、と感じるときもあった。そんなことみんな気にしていないように見えるからだ。 しかし逆に考えると、それだけ上手く支配できたとも考えられる。で、その線で考える。と、 スペインの支配者たちや、周りで見ていた人たちは、間違いなくこの方法を学んだはずだ。キリスト教と言う普遍的価値を含んだ支配者の価値観を被支配者たちに信じ込ませれば支配しやすくなると。神の前の平等と、信じれば救われる。とても魅力的な考え方。苦しい生活をしていた人たちが信じて当たり前だ。そしてローマ法皇に膝まづき、法皇とある時は協力する国王に膝まづく。抵抗できるはずがない。 翻って私の生活を思う。自由、公正、平等、正義、お金。普遍的価値だと思って受け入れているが、メキシコのキリスト教なのではないのか。