imakokoparadise’s diary

科学的エビデンスを最重視はしません。 エビデンスがなくとも論理的に適当であればそれを正しいと仮定して進む。私の目的は、得た結論を人生に適用して人生をより良くすること。エビデンスがないからと言って止まってられない。 目的は、皆の不安を無くすこと。

外界とは何か 不快と外界の関係

外界とは私以外の世界のすべてのことである。では外界は私とどういう関係にあるのか。快・不快の対象としてのみ、外界は存在している。外界と私にはギャップがあって、それが不快を生み出しているのだと思う。その不快を減少させることが、生きる力になっている。別の言い方をすると、自分と外界のギャップを埋めることが、生きることだと思う。人は生きていくために、不快を埋めるようにプログラムされている。それを前提にすると、不快を半分受容すると、生きるためにしなければならないことが、半分減少するだろう。つまり束縛から半分解放される。 自由な気持ちが増加する。論理的には、不快をすべて受容すると、全き自由、つまり完全な解放が得られるのだと思う。

仏教でいう悟りとはこのことだと思う。 問題は不快をどうやって納得して受容するかだろう。