imakokoparadise’s diary

科学的エビデンスを最重視はしません。 エビデンスがなくとも論理的に適当であればそれを正しいと仮定して進む。私の目的は、得た結論を人生に適用して人生をより良くすること。エビデンスがないからと言って止まってられない。 目的は、皆の不安を無くすこと。

4 集団生活 1顔の見える利他的行為

相手の中に自分を見る程度は

1 ほとんど見れない。これは自分との共通点を感じられなくて、相手の中にほとんど自分を見れない。

2  理解できる。共感できる。 これは 頭で考えて自分になぞらえ 相手の中に自分を見る行為だ。 これには、少し理解できる、から、かなり共感できる、まで大きな幅がある。 相手の中に どれだけ自分を見れるかによって変わってくる。

3  共感してしまう。 これは琴線に触れて 、思わず心が動いてしまうことだ 。だから琴線に触れてしまえば全く見知らぬ人の中にも自分を見てしまう。

リターンを意識した利他的行為の対象者は1と2である。 リターンの具体的な内容は、いい仕事を回してもらおう 、いい治療をしてもらおう、 住みやすい街にしよう、子供のために良い世の中にしておこう、など様々だ。

具体的な過程を考えると、私が 家の前の道路を掃いたついでに リターンを意識して 隣の家の前の道路も掃いたとする。 後日、隣家の人がわたしの家の前の道路も掃いてくれた。次に顔を会わせたとき、 お礼を兼ねておしゃべりする。 承認欲求が満たされる。 かつ相手の中に自分をより見やすくなる。 そのことが、より共感可能性を増大させ、そして さらにはリターンを意識した利他的行為の可能性を増大させる。 そしてその行為は承認欲求を満たすのだ。

つまり 顔見知りの人に対しての、リターンを意識した利他的行為は 承認欲求を満たす。

ところで、リターンを意識した利他的行為の最終目的が どのようなものかというと、自分または自分の大切な人が、他者と良い関係を作れることにある。 良い関係とは親しい関係ということだ。 親しいとは融通が利く、または自分の自由度が高くなるということだ。 この視点から住みよい社会 を見れば 、自分の自由度の高い社会が住みよい社会ということになる。 ただその自由度は 力によって確保するのではなく、 相手に共感されることによって達成する方法だ。

では、見知らぬ人に対してのリターンを意識した利他的行為は可能なのだろうか。