imakokoparadise’s diary

科学的エビデンスを最重視はしません。 エビデンスがなくとも論理的に適当であればそれを正しいと仮定して進む。私の目的は、得た結論を人生に適用して人生をより良くすること。エビデンスがないからと言って止まってられない。 目的は、皆の不安を無くすこと。

南インドで建築を考えた

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建築には 大目的がある 。それは 室内空間を作ることだ 。建築の変遷をたどると、より広く、より耐久性があり、より快適で 、より 恣意的より美的 である方向に進んだ。

建築技術の点から言えば 、室内をより広くした時、屋根をどう支えるかが根本問題だった。

建築を限定する要因を順にあげれば 、

1 材料調達  材料は、石材、木材、焼成レンガ、日干しレンガが 選ばれ、例えば 小オアシスでは木材は 調達できず、 レンガを焼く燃料が惜しければ、日干しレンガが選択される 。

2耐久性  例えば木材が採れるということは、ある程度の降雨があることになり 、それに対する対策が必要になる 。具体的には 、軒を長く張り出して 壁を雨から守るということだ 。故に木造建築は軒が長くなりやすい。

3 快適性。暖房方法は昔からあった。冷房の出現は画期的なことだったろう。

4 示威的。 具体的に言えば誇張すること 。宮殿、城。

5 宗教的理由。 例えば日本の寺社建築に平屋根は許されなかった 。

次に建築主から見た、建築を限定する要因を考えれば

1 権力者、権威者 彼らの要求は、より大きく、つまりより高く広く、そしてより誇張されたものだった。 この場合の特徴は 予算制限が少ないことで、 限定要因は 、より大きくした時にどうやって屋根を載せるかだった 。このことが建築構造の技術革新を 牽引してきた。具体的には、イラン以西で言うと、ギリシア時代の、石材の桁や梁を石柱に載せた建築から、ローマ時代のブロック積みのアーチ、そしてドームへと。

2  民衆  彼らの欲求は予算と耐久性、快適性のバランスだった。 つまり限定要因は予算 。そのことが素材の製造単価抑圧への 技術革新を生んだ。

で私の言いたかったことは以下の通り 。

1 南インドの寺社建築(本殿)は 、石柱に石桁や石梁をのせ 、その上に平屋根を作る。 この工法だと、石柱をたくさん立てると平面的に広げていくことができるが、石材の長さや強度が限定要因になって 高い建築 物を作れない。 全て一階建だ。ゆえに 高さが欲しかった権威者たちはゴープラムと呼ばれる塔門を高くしていったのだと思う。

2 木材建築も 同じ理由で、木材の長さと強度に 限定要因があって、 木柱をたくさん並べれば平面的に広げていけるが (例えば日本の城郭の中の本丸 )、高さを作るのが難しい。 日本の天守閣は、 木造建築が高さを求めた一つの帰結だと思う。

3 ヨーロッパでは、ギリシャ時代のパルテノン神殿に見られるような 石桁石梁の 建築から 、ローマ時代の アーチそしてドームへと 発展した 。大ドーム建築物であるトルコのアヤソフィア寺院は既に4世紀に完成している。 その後、大きな技術革新はなく、19世紀末の鉄鋼という人工素材の出現を 待たなければならなかった。 故にヨーロッパの建築様式の変化、つまり ロマネスク 、ゴシック 、バロック それに続くネオロマネスク、ネオ、、、以下の変遷は 技術革新がなかった故のやむおえない堂々巡りだったのだ、と思う。