imakokoparadise’s diary

科学的エビデンスを最重視はしません。 エビデンスがなくとも論理的に適当であればそれを正しいと仮定して進む。私の目的は、得た結論を人生に適用して人生をより良くすること。エビデンスがないからと言って止まってられない。 目的は、皆の不安を無くすこと。

キューバ6月

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1日 日曜 火曜で宿の契約が終わるが、どうするか。ここでの目的は、キューバ人気質に触れる。さらに滞在してより触れれるか。私の性格で、誰彼構わず挨拶しようと言う気になれない。数人の人と声を掛け合うようにはなったが、さらに親しくなれるか。船に乗るのは興味があるが。何処に新規の出会いがあるかは分からないけど、それほど発展の余地はない。いつも一緒でないとなかなか分からない。アルフレッドの家族は一緒には居れない。年取った親父でもいれば一緒に居やすいんだが。つまりアルフレッドの家は出ろと言うことか。

雨が降ってベランダや玄関先が濡れると雨が上がるとすぐに水を掃き出す。かなり気を使っている。きっと水が滲みて中の鉄筋が錆びるのだろう。

一日何度も行商人がやって来る。日本だと音が出るものを持っているが、生声勝負。

アラセッリの妹が毎日顔を出す。家はすぐ近所。他に2~3人よく来た。

昨夜アルフレッド達とお金について喋ってるとき、次どこ行くのか、いつ行くのかを聞かれたとき、まだ決めてないと答えると顔を見合わせてクレイジーだと言った。海岸沿いにさらにハバナから離れたカバニャスに行くかもと言うと、二人揃って、とっても危険な町だ、と言った。安物の蒸留酒を飲むよっぱらいが一杯いて、強盗に会ったり、殺されりするぞ、と繰り返し忠告してくれた。アラセッリが、女は黒人ばっかりだ、とも言った。そして私達の商談がまとまってからだが、もし困ったことがあったら電話番号を教えるから、電話してきなさいと、携帯と家電の両方を教えてくれた。そしてキューバじゃ携帯が必須だ、何かあったとき、すぐにアルフレッドに電話をかけれるし。携帯買いなさい。27クックと、通話料が50クックで使えるから、と教えてくれたが、アルフレッドが、キューバでしか使えないよ、と教えてた。

昼過ぎ、シャワーを浴びてる最中に水が出なくなった。屋上のタンクを覗くと空っぽで、水垢か土が溜まっていて草も2本生えていた。こんな水を飲んでたのか。(台所の水道だけは別からの供給で水は出続けた。さすが公衆衛生は行き届いてる)アラセッリに言いに行ったが、コックを開けたらすぐでるから後で行く、と言ったが6時まで来なくて、母家でトイレとシャワーを借りた。驚いたことにトイレのタンクに水が溜まらなくて、手桶に洗面台から水を入れてトイレに流していた。泊まってる家は水圧が低くて上まであがらなくて、いつも隣人がポンプを使って上げてるそうだ。アルフレッドの家も低いところの貯水タンクにまず水を貯めて、そこから電動ポンプを使って屋上にあるタンクに水を移していた。メキシコでもよく見た風景だ。メキシコでは貯水地を作っていたが。水不足のようで、今朝は水が一杯来てたのに、とアルフレッドが言ってた。たくさん来るときにタンクに水を貯めとくようだ。(翌日も出なかった。その夜水の管理を任されてる隣の男が母屋に9時頃きたときアルフレッドが家族に対してするような様子で語気強く話し出すと、つまり相手を攻めたら、落ち着いて、落ち着いてと相手が繰り返していたのでいつものしゃべり方は親しい人に対してだけのしゃべり方なのだろう。青少年も大声を出すが、日本のように相手を威圧したり、恫喝するような声を聞いたことがない。

今日もアラセッリは親切で、機嫌が良かった。二人ともスピリッツは良くないと言い、ビールを1日2~3缶空けている。空き缶は海へ。後日小遣い稼ぎの空き缶拾いのおじさんが取りに来る。

レンジマンゴーを買ったが、あちこちの木に成ってるので、ひどく安かった。ハバナだと中ぐらいで10ペソだったが、ここは大きい物で5ペソだった。4個も買ってしまった。ひどく旨かった。タイのような強い甘味はない。

昔の砦で、今は軍はの施設になっている山の上の建物を見に行った。英語教師のフェリックスの話だと、中には入れないが外から写真を撮ることは出来ると言ってたが、まったく近づけなかった。ただ山の中にヤシの木がパラパラ生えてる状態を近くで見れた。一度皆伐した後に椰子が植えられ、その後二次林が出来たようだ。50年代の写真を見たが、禿げ山だった。施設に続く山の道は涼しかった。ヤギをイヌで追いながら放牧してた。

ルフレッドは午前中一件の帝王切開の電話がかかってきて出かけた。がその後2件の帝王切開と1件の人工妊娠の手術があって帰ってきたのは夜8時だった。とっても疲れたよ。でもこの仕事が好きだ、と言った。

2日 月曜 タバコを吸うときライターにすぐ火が点かないようで、しばしばチャ、チャ、チャ、という音が聞こえる。

朝飲む粉ミルクには少し砂糖をいれ、さらに甘さを出すために塩を少しいれている。

顔が赤く胴体は孔雀ほどの大きさの猛禽類がいて、意外に歩くのも速い。

24才の長男ノスレンも両親の前ではまだまだ子供扱いで、自分の要求を母親に一生懸命訴えていた。ただ親子で言い争っても大抵最後は頬にキスをして終わっている。15才の次男アルフレディトに至っては数学の勉強をしないと夕食抜きだ、と、手抜きの勉強が終わるまで食べさせて貰えなかった。ノスレンは対岸に見えるコンテナ埠頭で働いている。ここはコンテナの積み替え港で以前はハバナにあったが閉港した。

キューバ人にとって卵は朝食に食べるものだ。土曜日の夕食はご馳走を食べる。牛肉はご馳走だ。

男も女もよくソフトクリームを食べる。小さめのコーンで2~3ペソ。

キューバの気候は平均的だ。とアラセッリが言った。

大声で短い単語を発してるときは大抵人の名前を呼んでいる。

家は暑いので開けっぱなし、家の中での会話は大声なので、家の中を見られるのも、家族の会話を聞かれるのも気にしていないと思う。

挨拶は男同士は大げさな前ふりからバシッと握手。女同士と異性間は大きな音を口で出しての頬を合わせてキス。

各戸に電気メーターはあるが、水道メーターはない。アルフレッドの家は月3ペソの定額。

通貨 お店にはキューバペソとクック支払いの二種類の店があって、クックが必要なときは両替屋でペソからクックに替えて買い物をしている。貧しい人でない限りクックは身近なものだろう。スピーカーやオーブン(デロンギが130クック)、ミキサー、化粧品、靴など高級品とともに石鹸も置いている。1クックは24ペソに交換されるが、かっての中国みたいに1クックと1ペソが等価に扱われてなくて、1クックは24ペソとして流通している。ハバナの美味しい菓子パン屋はクック払いだったが、ひとつ0.4クック前後で、ペソに直すと10ペソほど。確かに40センチほどの国民愛用の巨大コッペパン5ペソに比べると高いが、感覚的には4ー5ペソ辺りが適正価格だと思うので、(いやもしかしたら乳製品が高いのでこれで適正価格かもしれない)むやみに高いわけではない。マリエルでむやみに高いクランクフルトホットドッグを1、5クックで食べたが、そんな店には客が来なくなるだけだ。たぶん行政がしている店なのだろう。食べてる客を見たことがない。

つまりクックは旅行者用の特殊通貨ではなく、国民に溶け込んでると思う。だとしたらクックをやめてすべてペソ表示にしても良いように思う。

この町には生活必需品を売ってる正規の小売店が一軒とTDRと表示されているクック払いの正規の小売店が数軒ある。

夕方母家に行くとノスレンの彼女もいた。勝手にパンを取って食べたりしてたからかなり親しいのだろうけど、かなり対等にアラセッリやグランマと言い争っていた。日本じゃ考えられない。みんなの前でも彼女を膝の上に乗せたりしてたので、雨も降っているし、家がここから3キロ程あるそうなので泊まるのかな、と思っていると9時に車で迎えに来た。ノスレンは外まで送らなかった。

グランマが、今度くる時はスペイン語を話せるようにしときなさいと言われた。彼女には最初の頃から親切にしてもらった。

若い男はズボンをずらして半ケツだが、黒いパンツはしっかり履いている。女の半ケツは無い。ぴったりしたズボンを履いて体の線を出している。

今日は夜7時から停電。ロウソクで明かりをとる。アラセッリが歌い始めた。日本ではあれほど遠く感じてたキューバで、今ロウソクの明かりで家族に混じってカンタータを聴いている。心に染みた。

3日 火曜 8時に家を出て、たまたまグアナハイ勤務のアルフレッドと一緒にバスでグアナハイへ行く。2ペソ。

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ルフレッドは24時間勤務だそうだ。何かあったら病院においでと言ってくれた。あしたは家にいるから電話して、とも。

町は島の背骨に当たる中央高地にある。平地にはサトウキビ畑。島の東西を結ぶ主要道に発達した街道まちだ。

グアナハイ

マリエルよりずっと大きいが、宿があるかあちこちで訊いたが、ここには無いと言われて、移動しないとダメかなと思ってたところ、見つかった。宿泊だけだと10クック、3食付きで15クック。宿泊だけだと家の中に入り込めない。食事をすると、そのために家の中に入れ、そこから関係が出来ていくので、当然食事付き。ここにはヌカカがいないので少し落ち着く。部屋は8畳ほどで隣に狭い洗面所がある。トイレ、シャワー付き。冷房はLG、冷蔵庫はサムスン。シャワーの出が悪い。ちょろちょろ。蛇口からの水は屋上のタンクからだから、飲んじゃダメだと言われた。夕食に揚げバナナが出たが、衣を付けてサクッときれいに揚げていた。新しい油を使ってる。ミラネサもとても柔らかく新鮮なハムをソテーしたように味があった。

マリエルより都会なのでチノと言われたことはまだ無い。みな遠巻きに見るだけ。ハバナは観光客慣れした一部の市民がいるので例外。うんざりするほどチノと言われた。

声もマリエルほど大声じゃない。名前を呼ぶときは大声だが、家の中では時々大きくなるだけだ。まぁ、老夫婦ということもあるが。

この町でも電動ポンプで水を揚げていた。

4日 水曜 朝8時に牛乳を500CC程のビンで持って来て、玄関に置いてあった鍋に移し替え、置いてあった6ペソを持って出て行った。それでも朝のミルクは湯を沸かし粉ミルクを溶いてかつミキサーにかけてた。泡立って美味しかった。 

タバコを吸う人が目立って少ない。

中心の公園辺りは男がたむろしている。同年代で集まっているのではなくバラバラ。人が加わるたびに握手や軽く手をタッチや頬キスを相手の関係に応じてしている。これを見ると関係の深さ程度がわかる。なぜ集まってるかは不明。なぜ平日にこれだけの可労年齢層が集まっているのか不明。

ルフレッドの家でエスプレッソマシンを見てから、自分でエスプレッソを作れたら素敵だろうな、と言う考えにとりつかれてる。これからしばらくコーヒー豆産地国を通るから尚更。この家にもあって、朝一番と3時頃の2回、これを使って甘いエスプレッソを飲んでいる。アルフレッドもそうだったが冷めないように魔法瓶にいれて保存している。始めから砂糖を入れてる。店でも1ペソで売ってるが、すべて同じ。デミタスカップで飲む。国民飲料。メキシコは煮出した薄めのコーヒー。

昼食はひよこ豆の煮込みで少しカレー味。カボチャ入り。玉ねぎとニンニクのみじん切り。旨い。肉が無かったからか、卵ふたつの目玉焼きを付けてくれた。夕食にバナナチップ(薄切り)のフライが出た。これは衣無しで、パリッと揚げてた。

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公設商店でよく買われている物でクラッカーがある。多分お通い帳で買える。500グラムか1キロで売られているが、どんな食べ方をするかは不明。政府推奨のお菓子? お店の台帳にも、お通い帳にも書く。

マリエルでもグアナハイでも物乞いを見かけなかった。小さい町だから当たり前か?ハバナでは予想(1988年の上海)以上の物乞いがいて驚いた。当時の中国より開放経済が進んでいると言うことか?単純比較出来んよな。

ここでも生声勝負の行商人がよく通る。

キューバの経験で言うと、ひとつの国を知るには最低16日必要。まず首都に入って様子を見て雰囲気に馴染むのに5日。田舎で1週間。戻って田舎での経験をもう一度首都に活かすのに4日。   キューバに入ってまだ2週間も経ってないのが信じられない。

今日は入ってすぐの部屋(応接室)でゆっくりした。夕食後もそこから外を見て、夕暮れからは表に置いてある鉄製の腕付き揺り椅子で外を見てた。そこにマリアの親戚が2~3人集まって9時を回っても喋ってた。いつもの風景のようだった。

家の敷地は幅10メートル、長さ30メートル程で、まず段があって小さなバルコニーになってて、揺り椅子が2個置いてある。玄関を開けるとテレビとソファーセットが置いてある応接室。マリアと二人の娘の写真。次が便所兼シャワー室。次がむき出しの寝室。次が居間で2個の揺り椅子。で外側からしか入れない私の部屋があって、そのため細くなった通路に食卓とイス3脚。その奥が台所。かなり広い。私の部屋とトイレ以外は間仕切りがない。その奥が外からしか入れない倉庫。台所と倉庫部分が細くなった分、中庭になっている。洗濯場有り。イヌ2匹。

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5日 木曜 両替屋に行ったら、ハバナでしか両替できないと言う。外には各国の通貨とのレート表が出ているのだが。クレジットカードなら銀行で出来ると言う。円を減らしたかったのでちょっとショック。

メインストリートの民家では個人で自宅の玄関に商品を並べて売っている。軽食兼飲み物、金物系、衣料系 雑貨系あたりがあるが、仕入れ先が同じなのだろう、どこを覗いても同じ商品だ。ただ軽食はパンにどれだけの肉やチーズをはさむか3~10ペソや、ピザにどれだけのチーズを乗せるか10~15ペソで、差が出てる。生地を各店で作ってるとは思えないが、イーストが売っているのでどうか。ナチュラルジュース2~3ペソも自家製だから味に差がある。よくあるのはパイン、グアバ、マンゴー辺り。

高級キューバコーヒーcubita 230グラム 3クック 香りが良いと言ってた。バターは125グラムで2、5クック。日本も乳製品が高い国だけど、日本より高いぐらいだ。

飲み水はアグア、アグアと行商人が売りに来る。給水車を近くに停めてるのだろう。

商業銀行にいった。ペソでの預金金利は、一年定期で4%、クックだと2、5%だった。これって何を意味するのか?放って置くとクックが強くなると言うことか。

ハバナの両替屋の前には闇の両替屋がいる。銀行や両替屋で1クックをペソに交換すると24ペソになるが、1クックを手に入れようとするとに25ペソが必要になる。だからクックが欲しい市民は並ばないで済む闇両替屋で25ペソで替えるのだろう。闇両替屋は1クックに付き1ペソ利益が出る。

油や豚肉は普通の民家に買いに行った。豚肉屋はたぶん豚一匹分を捌いてフックに掛けていた。モモとウデと背中とあばらとレバーひとかたまり。注文があるとナイフで切り分ける。外来者は絶対に分からない。逆にお通い帳は使えない。割り当てを使いきったら民家にも買いに行くし、質を求めるとき買いに行くのだろう。少しまえ妙に美味しい豚肉を食べた。他にもトマトペースト(瓶詰め王冠栓)

昼食はフリホレスネグロで、玉ねぎと、ニンニクと塩、レモン汁を少し。今までのフリホレスで一番美味しかった。少し煮崩れて味が濃かった。夕食は魚のミンチ炒め。里芋チップ、トマトスライスサラダ、フリホレスネグロ。マリアは料理上手だ。

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聞き返すとき、マンデ(メキシコ特に中央高地)とは言わず、que(なに?)と言ってる。

今日は昼から夕方まで豪雨。部屋でシャコンヌを聴いた。川が増水してて、雨が止むとミミズを餌に釣りをしていた。ナマズだろう。

ゲレッロは73才で25年軍で勤める。アンゴラに2年、カーボベルデに少し勤務した。とても物静かで、穏やかに柔らかい声で話す。私にも必要最小限の言葉で話す。

マリアは初めて会って値段の交渉をしたとき、ガンとして値下げを受け付けず、やりづらいな、と思っていたが、いざ日常が始まるととても気を使ってくれ、洗濯しようか、冷たい水はいるか、ご飯も、おかずも山に盛ってくれるし、床は毎日拭いてくれるし。話すときも柔らかく話してくれる。マリエルのアラセッリは委託だったので、実入りが少なかったからどうしてもお金のことが気になって神経質になってたのかもしれない。マリアの壮年の写真があるが、恰幅の良い押し出しの強い実業家といった感じ。今は物を持つと手が少し震えている。二人が夕方、バルコニーで涼みながら話しているのを聞くと、穏やかな気持ちになる。マリア、ゲレッロはアルコールを飲まない。ゲレッロはタバコを1日10本ほど吸っている。

マリアはこの町生まれで、ゲレッロは東部のグランマ地方のマエストラ山地で45年住み、この家に越してからはまだ10年だそうだ。この家にやって来るのが皆マリアの親戚なのも当然だ。

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キューバ観察に何か視点が足りない気がするが何だろう。

私だけを家に残して二人とも外に出るときがある。あまり警戒していない。昨日は娘夫婦が来て二つ隣の姪の家に泊まった。今日はマリアの弟が午前中来た。他にも関係の分からない人が何人か来た。肉親以外は、どれだけ親しく話していても決して食べ物をよばれることは無い。

夜9時からブラジルのドラマを一時間観る。先週のマリエルでも観てた。家政婦は見た、と言う構成。

6日 金曜 朝、仕事前に二人の娘が顔を出し、エスプレッソを一杯飲んで出ていく。昨日はマリアの弟が、朝少し顔を出した。昼前に次女が生後五ヶ月の赤ちゃんを連れてきた。しばらくして次女の娘中学生が、制服のまま来た。昼食を食べて、制服を着替えて、次女と中学の娘だけ出かけた。そのあとマリアとゲレッロがあやしてたが、愛情一杯。バルコニーであやしてると近所の人が通るたびに赤ちゃんに声をかけていく。子育ての孤立感は日本よりずっと少ない。4時に二人が帰ってきて、その後朝来たマリアの娘が少し来て、さらに多分近所に住んでる高校生ほどの兄妹が来て、赤ちゃんを見て帰った。マリアの次女は別の町に住んでいるそうだ。4時半に帰った。初日に、二人しか住んでないので気を使わないでゆっくりできるよ、と言ってたが、予想以上に人の出入りがある。

グアナハイでは、家の中でマリエルほど大声で話さない。ただ都市化したと言うことだろう。だが外で大声を出すことを恥ずかしいと言う感覚はない。

私がバルコニーに出るのをひどく嫌がる。ここに中国人がいる、とみんなが思う、と。つまり泥棒に狙われると言うことだと思う。で、私はいつも応接室のイスに座り、外を眺めている。

この家はガスより電気調理器が中心。圧力鍋、炊飯器、エスプレッソ用のコイルコンロ、電気鍋。

電話がない。シャワーには電気温水器が付いている。質素なこの家にあると言うことはかなり普及してると思う。マリエルのアルフレッドの家にもあった。

7日 土曜 結局クレジットカードを通す器械が壊れてるとのことで両替出来なかった。アルテミサに行けば両替できると言われた。家に戻ると、後2日なら泊めてあげられる、月曜日、遠くの病院に行くので泊まれない、と言われた。後2日、と言うのは前からゲレッロが言ってたことだ。マリアに持病があって、それを気遣ってのことだ。で、私がマリアに、あと何日泊まれるかを訊くと、後4日までは良いと言ってたのだが、ゲレッロは不満そうだった。彼が説得したのだと思う。私が親切にされるのは、基本、大金を払ってるからだ。彼はそれを拒否したのだと思う。2泊だと両替無しで、手持ちのお金で対応できる。両替出来なくて良かった。塞翁が馬。と言うか、両替出来なくて後2日分のお金があると言ったから、マリアは後2日ならOKだ、と言ったのだろう。マリアの病は糖尿病。よく、あーと、ため息をついている。

ルフレッドもマリアもキッチン台はいつもきれいに拭いている。揚げ物や炒めものがほとんどで、癖のようにいつも拭いている。メキシコも油ものが多かったがメキシコのマビエルのところはベトベトだった。

サツマイモ(ボニェーラ)を揚げるのに、まず塩水に浸けて苦味を抜いてた。こう言うひと手間が美味しくさせているんだと思う。今日買って来た脊髄つきロース豚肉は、まずざっと肉を外して、残りの脊髄肉をまず圧力鍋でニンニクと塩で煮込み、それを米とトマトピュレと水とコミノと言うシナモンやナツメグ(五香粉みたいなもの)でご飯を炊いた。めちゃくちゃ旨かった。ロース肉は棒で叩いて伸ばし、ニンニクとレモン、塩、コミノで短時間漬け込み、多目の油で炒め揚げし、途中でビネガーを入れた。コショウは使わない。コミノに入っているかも。が、日本のようには利かさない。ロースの周りに付いていた皮付き脂はサイコロ状に切って油でカリカリになるまで揚げた。メキシコでもよく見たチチャロン。そのままロースに付けてソテーしたら旨かったに違いない。

フルアシストの電動バイクがある。

今日は珍しく1日晴れた。あしたはグアナハイ最後の日?

8日 日曜 8時に応接室に行くといつもバルコニーにある鉄製揺り椅子が部屋に置いてあった。夜中に盗られるので毎日取り入れてるのだ。8時過ぎに姪40歳位が来て、ふた付きバケツを持って出て行った。電動バイクで。姪はかなり大声だった。マリアとまったく対等に話してた。8時半に牛乳屋が来る。ゲレッロが朝の買い物。いつもまず朝に買い物に行く。野菜とか。キュウリ、トマト、砂糖。タマネギは無かった。9時半頃、若い黒人夫婦が来て、ゲレッロが冷たい水を出して少し喋った後、帰って行った。日曜だからかいつも仕事に行く前に来るメンバーは来ない。12時に申し合わせたようにマリアの妹と何度か来た姪がやって来て、明日のマリアのクリニック行きのことを話していた。ご飯食べなさいよとマリアが何度か言ってたが、二人は辞退した。で、エスプレッソを出した。

二人が帰った後、マリアが、姉の家に明日から泊まらないか、大きな家で、条件もここと同じだ、と言ってきた。まったくどう展開するか分からない。偶有性ですか。

マリアの姉ミゲルが簡易血糖値計を持って来て、みんなのを測っていた。数値は60台だった。ただ採血する時、同じ針の使い回しになっていたのが気掛かり。アルコール消毒はしてたけど。マリアはしなかった。ゲレッロが後で、5つも病院を替わってるんだ、と言った。

野菜クズはゴミとは別によけている。アルフレッドの家と同じく、ブタの餌。こんなに腐ってて大丈夫かと思うが。もちろん一度火を入れるのだろうが。庭に植わってるただ一本の木がアボカドの木だった。まだふた回りほど小さくて緑色。木で完熟させて食ったらさぞや旨いだろう。メキシコの収穫期はたしか10月。

今日も一日中晴れた。 

夕方5時半頃から停電。今まで1~2分の停電は2回あったが、長期は初めて。8時に回復。

バルコニーでゲレッロと夜に涼んでいるとき、家族のことを考えたりしないのか、と聞いてきたので、メールでやり取りしている、と答えると、俺なら家族から離れないな、と薄明かりの中で言った。

ゆうべ、行く国を再検討したが、明らかにお金が足りないので、目的地以外はさっさと通り過ぎることにした。かつ物価の高い国では働くことにした。

9日 月曜 8時過ぎにゲレッロの家を出てマリアの姉ミゲルの家に行く。私の荷物が大きかったからだと思うが、自転車タクシーを呼び止めて行った。10ペソ。300メートル程しか離れていない。なるほど大きな家だ。幅10メートル奥行き40メートル程。家を案内してもらって、ゲレッロにエスプレッソを入れるのを何となく待つ。で、二人で家を出て、私はアルテミサartemisa行きのバスに乗る。2ペソ。アルテミサは大きな町だった。両替屋でまず断られて、教えられたコマルシアル銀行で断られ、そこの警備員が確信を持って教えてくれた市民銀行で両替できた。と言っても現金の円は無理でクレジットカードで。もしカードを持ってなかったらハバナから離れられなかった。暗証番号なしで引き出せた。大きな町だが物価はグアナハイと変わらないように思った。ただ座って食べさせる店を何軒か見た。帰りはトラック改造の乗り合いタクシーで5ペソ。とてもタクシーには見えないが。途中の景色はほとんどがサトウキビ畑でちらほら原地にウシの放牧。

とうとう本当の民家に泊まれることになった。が、パスポートを求められ、名前など必要なものを書き写していた。ゲレッロは見るだけだったが。私の部屋は、たぶん出て行った息子ヘリオルシの部屋だ。息子と6才の娘とがいる。私の部屋と夫婦の寝室とまだ水道管が接続されてないトイレ兼シャワー室は新築。マリアの姉ミゲリーナ(ミゲル)とたぶん癌、でガリガリに痩せた夫レノの二人暮らし。ミゲルは8人姉妹で兄弟が二人いる。昼過ぎ、息子ヘリオルシ39才が来て、家の手伝いを少しして、私のためにパイナップルを買って来て、切って、また出かけた。夕方から一番の近所友達マリアが来て家の手伝い。私が寝るときまでいた。と言うか、夕食後ヘリオルシが散歩に行かないか、と誘ってくれたので一緒に出かけ、8時半に帰ってくると、私の部屋で冷房を効かせてソファーにミゲルと並んで座りテレビドラマを見ていた。10時まで。

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10日 火曜

8時半に妹が単車で来てあれこれ喋って、と言うか、文句ばっかり言ってる親父を、何、言ってんのよと、あやしてる感じ。あまりに彼が食べないのだ。そしてパンを食べ、ミゲルと買い物に荷物持ちとして行き、9時半過ぎに帰った。小さな店で六尺ササゲとサトイモを買った。クック払いのスーパーにも行ったが、欲しい物が無かった。朝から?朝だからスーパーは人で一杯だった。10時半頃相次いでミゲルの妹リリとでかちりが二人来てお喋りし、昼食の準備を3人でゆっくりと始める。うち一人と買い物に行き、クック払いのスーパーに再び行き、青インゲンとトイレットペーパーを買った。11時頃息子のヘリオルシが単車で来て、私のための新たな扇風機を持ってきた。冷水を飲んで、クラッカーにディップを付けて何枚か食べて帰って行った。私も念願のクラッカーを食べる。少し湿気ていて、塩味。ディップは甘くなく、コミノ味。つまりお菓子ではなく間食として食べる感じ。これじゃホッとはしないな。まぁ、外ではソフトクリーム2ペソやジュース1~2ペソがあちこちで売ってるからいいのか。12時半から昼食。3人とも皿にご飯を盛り、上におかずをのせて、入り口バルコニーのイスに座って食べる。キューバでは、テーブルでご飯を食べるより、イスに座って膝の上に皿をのせて食べる方がずっと多かった。私からすると、何となく食べ初めて、何となく終わってる感じ。食事をすると言う儀式感がない。昼食は豚バラの素揚げで、途中でふたを開けて見たときは骨に肉がたっぷり付いててとても美味しそうで、期待してイスに座って待ってたが、出てきたのを見ると豚皮を揚げたチチャロンみたいにカリカリになって出てきた。

ご飯も日本と違って、塩を入れる。四合の米に対して大さじ1ほどの塩を入れてた。さらに皿に盛ったあと、今日なら豚を揚げた後の油をさじにすくってご飯にかける。もうこれだけでおかず無しで食べれるほどご飯に味が付いている。

3時にヘリオルシが来て、この時点で妹が一人帰っていた。で、今から私の家族に会いに行かないか、と誘われ、一緒に出掛ける。途中1リトルのコーラと炭酸飲料を買って、自転車タクシーで行く。500メートル程離れた4階建て団地の3階。3つのベッドルームがあり、妻35才の母と、息子と娘の二人の子供の五人暮らし。妻に一卵性の三つ子の弟がいて、その一人がマイアミにすんでいる。で、家族揃ってマイアミに移住するつもりだ、と言った。(マイアミには亡命キューバ人のとても大きなコミュニティがある。)よく分からなかったが、パスポートやビザなどの手続きが大変だと言っていた。キューバに不満があるのだろう。間違いなく商品に多様性はない。ヘリオルシ、妻ともにiPhoneを持っていた。ノートパソコンもあって、デル製、WindowsXPだった。妻は自分の子供の頃の写真を、白黒だが一杯持っていた。仲の良さそうな夫婦だった。帰りに、ヘリオルシの職場に寄る。町の中心にある、ビアホールのような店。そのときは映画が流れていたが、夜はディスコティックな店になるそうだ。店員と仕事の話をしていたが、経営者のような厳しい顔をしていた。4時半頃に帰るともう一人の妹も居なくなっていた。ヘリオルシはすぐに帰った。が、6時頃に30センチほどの太った魚を8匹程5クックをバケツに入れて戻ってきて、外の洗い場でさばいていた。安かったよ、と言った。川魚だそうで、海の魚はもっと高いそうだ。妹エリーが一人来て、3人でしばらく話してから、昨日持って来た米を、持って行った。すぐ後に近所友達のマリアが来て、バルコニーで何となく過ごし、昨日と同じくミゲルと一緒に夕食を食べ9時から10時までテレビを見て、その後10時半までバルコニーで話して帰った。ヘリオルシは8時半に、1日の店の売り上げを台帳に書きに行く、と言って帰って行った。帰るまでも、家の諸々の仕事をしていた。そう言うと、この家に男の訪問者は彼しか知らない。ミゲルのレノ夫は自分のことで精一杯だ。

夕食は川魚の素揚げで、さすがに川臭かった。中華で川魚料理をいくつか知っているが、さすが色々工夫して臭さを感じさせないことを今さら思い知らされる。

11日 水曜 

9時半から10時まで買い物。ビノ セコと言うビネガーを1、5リットルほど買って来たが、匂いを嗅ぐとサトウキビの汁を発酵させた物のようだ。料理に使う。

10時過ぎからまた出掛け、まず姪の職場に行って(行政機関 デスクトップはデル、ノートパソコンはヒューレットパッカード)、ベーコンの売ってる場所を聞き、そちらに歩いてる最中に息子ヘリオルシがガスボンベを積んで自転車タクシーで通り掛かったので、彼に任す。帰り道、ウリを買って帰る。家の近くで待ち合わせてたのか、傘をさして立っていた女と、一緒に家に来る。10時半過ぎにヘリオルシが新品のガスタンクにガスを充填して来た。料理の手伝いをしながら、ベーコンをつまみ食い。11時に何か物をやり取りして女が帰る。冷たい水を飲んでた。11時過ぎに妹エリーが来る。

11時半にヘリオルシの友達が単車で来て、すぐ帰る。しばらくして水道の元栓を2つ届けに来た。11時半過ぎに夫レノの二人の兄弟とその息子1人、ママの4人が車でやって来た。もちろんママは高齢で、1人で歩けない。ミゲルは料理の準備、ヘリオルシは水道の元栓交換とガスの定圧器の修理で接待に出ず、妹のリリがバルコニーでみんなと話す。12時くらいにヘリオルシが、買い物に行くから一緒に来ないか、と言ったので付いていく。最初の店でやり取りして断られ、外を歩いてるときに、兄弟だ、と言うアミーゴ(友達)に出会い、行き先が変わって、スイス製の腕時計の電池交換をして50ペソ、自分の店に行って、二人で缶ビールを飲み、裏の店に回って、調理人と3人で語気強く話をして、1時半に帰る。実は服を買う予定だったようだ。

2時に食事が終わる 順に席を外し口を洗いに行く。でエスプレッソ用意し始めたところでレノの親族は帰った。

2時半にヘリオルシの妻と6才の娘リリアンが来る。

3時半に妻だけ出掛ける。いつの間にかニワトリが2羽、庭にいて(たぶんヘリオルシが持って来たのだろう)、リリとミゲルで絞めて、さばいた。そしてエリーが帰る。4時半マリアが帰る。孫エリエールの相手をミゲルがずっとしてる。6時頃マリアが来てゆっくりしてて、7時過ぎにヘリオルシが自転車で、妻は歩いて帰ってくる。妻は娘をつれて自転車タクシーで帰る。買い物をしてたようだ。ヘリオルシも、後でまた来る、と言って出て行った。マリアのそのあといつの間にか帰っていた。で、今日は夕食時3人だけ。9時からミゲルは音楽番組を見る。10時過ぎに部屋から出てくると近所のマリアがやって来て、バルコニーで話し出す。ヘリオルシは来なかった。10時過ぎに電話があったのできっと彼からだろう。マリアは11時頃までいた。

12日 木曜 8時半に姪が電動バイクで来て、食べ物を少し持って帰る。仕事場は、昨日ミゲルと行った行政機関。8時半過ぎに近所のマリアが少し顔を出して帰る。10時にリリが、10時過ぎに初めて見るミゲルよりひとつ年下の妹が豚肉を持ってくる。来る途中で買ったのだろう、帰るときまた持って帰った。ミゲルが昼食の用意をしてる時、妹たちはキッチンでイスに座っているだけで、手伝わなかった。ただお喋りしてる。10時過ぎにヘリオルシが乾パンを持って自転車タクシーで来る。家のガスボンベだけをのせて、持って行かせた。二人の妹にエスプレッソを出す。11時に単車に乗った甥が来て、ヘリオルシを乗せて出掛ける。11時半過ぎにジーパンとシャツを買って来る。2回目のエスプレッソを出す。甥っ子に出すのが目的か?。12時前に、また二人で単車で出掛ける。12時過ぎに三人姉妹で出掛けて、いくつかの屋台を回って良いサトイモを買い、他に大バナナとフリホレス-ネグロ(黒インゲン)とキュウリを買った。途中コーヒー豆500グラムで50ペソで売ってたが、買わなかった。12時半前に帰宅。昼食を皆で食べて、1時に二人の妹は帰る。初めて見た妹は自転車タクシーで帰った。入れ替わりに近所のマリアが来て、軽く昼飯を食べ、片付けを手伝う。2時過ぎにヘリオルシらが単車で戻って来て、ジーパン3着とシャツ1枚を持ってすぐに出掛けた。3時に別の妹デカシリが来て、5時までお喋り。途中からマリアが、ミゲルのお通い帳を持って買い物に行き、5時過ぎに戻ってくる。米、トリ、油など。6時にヘリオルシが友達の車で娘エリエルを連れて来て、置いていく。ミゲルがずっとお相手。7時に妻も連れて戻って来て、すぐに娘を連れて帰る。昼に買って来たジーパンとシャツを持って行った。このかん近所のマリアは居たり、居なかったり。7時過ぎにいつもの残飯回収者が来る。7時半前に昼過ぎから貸してた自転車タクシーが戻ってくる。8時前にヘリオルシが車に乗ってやって来て、シャワーを浴びてすぐ出て行った。8時過ぎに近所のマリアが来て、ミゲルと夕食を食べる。マリアが夜来る時は頭にヘアカーラーを巻いている。9時にヘリオルシが車で来て、私が来たために不足していた扇風機を一台持って来た。

扇風機は夕方以降は蚊を止まらせないためにかなり大切な道具になっている。窓を開けて寝ると、涼しくて良いのだが、蚊が入る。で、薄い布を体にかけて顔だけ出し、そこに風を当てる。頭から布団を被れば良いのだが、それでは暑い。少なくともミゲルの家では実行されてるし、ゲレッロとマリアも実行してるはずだ。窓を開けていて、扇風機が回ってるから、たぶんそうだろう。マリエルのアルフォンドは、冷房を入れていた。実効性は分からないが、揺り椅子も蚊対策道具として意識されている。

9時からミゲルとマリアは私の部屋で10時までテレビを見る。10時半にマリアは帰る。

13日 金曜 9時半前にミゲルが化粧をして出掛ける。10時に姪が来て、ミゲルが居ないので、水を一杯飲んで出ていく。10時半にニンニク、マンゴー、パスタ、石鹸、シャンプー、洗濯洗剤、ヨーグルト、チーズを買って来て自転車タクシーで帰って来た。夫レノはミゲルが出掛けてる時に拳銃を出してきて、分解、掃除をした。コルトだった。38口径6発充填式のレボルバー。

11時半前にミゲルがまた買い物に。すぐにキュウリを買って戻ってくる。11時半にいつもの妹(若い妹エリーとでかしり)二人が一緒に来る。12時にヘリオルシが、そのあとすぐに初めてのおじさんが来る。おじさんは10分ほどで帰った。ヘリオルシは金魚にエサをやり、エアーポンプの掃除をし、観葉植物(マランガ サトイモ科)の葉に霧吹きをし、料理を少し手伝って12時半過ぎに出て行った。二人の妹はミゲルと一緒に昼食を食べる。で、食後にエスプレッソ。1時半過ぎ自転車タクシーを若者が持って行き、そのすぐ後に三姉妹は出て行った。2時半に初めてのおばさん(姪か?)が来て、夫に何か一生懸命話していた。3時前にミゲルだけが帰ってくる。3時半におばさんは帰る。6時半に自転車タクシーを返しに来る。ヘリオルシが車で少し立ち寄った。7時過ぎに今日初めて近所のマリアが来る。7時半に帰って8時に来て夕食を食べる。今日は私の最後の日なので、鶏肉にハムとチーズをはさんだフライだった。他にバナナのフライとバナナ蒸しとフリホレス煮とキュウリのサラダと野菜の酢漬けとご飯。バナナ蒸しを初めて食べたが、ねっとりとして旨かった。蒸しと言うものの、皮ごとゆでたもの。いい感じで蒸し上がってる。料理に使うバナナは太くて短いやつで、なまで食べても美味しい。他に太くて長いバナナがある。これは黄みが強くて、少し固い。小さな種が入ってることがある。2本食べるとお腹が張る。9時から二人は私の部屋で10時までテレビ。

バルコニーに居てると、馬の蹄の音が聞こえてきて、だんだん大きくなり、おもてを簡易馬車が通りすぎると、だんだん音が小さくなる。いつの時代やろうって思う。

この家の3人とも、かつよく来る妹たちや姪もみんな携帯を持っている。時々ポケットやカバンから出して見ている。ヘリオルシには、しばしば掛かってくる。夫のはモトローラ(時計代わりに使ってppけど、日本人なら気持ち悪いから便器の上に乗ってしゃがむだろうけど、彼らはしゃがむ習慣がないので直接そこに座っているはずだ。座る前に毎回拭いているのだろうか。ちょっと考えにくいな。

キューバではすべての物が大切にされていると言う印象受けた。使わない部屋の電気はすぐに消すし、洗濯バサミも使わないときは袋に入れて直射日光を避けている。買い物で野菜などを入れるビニール袋