imakokoparadise’s diary

科学的エビデンスを最重視はしません。 エビデンスがなくとも論理的に適当であればそれを正しいと仮定して進む。私の目的は、得た結論を人生に適用して人生をより良くすること。エビデンスがないからと言って止まってられない。 目的は、皆の不安を無くすこと。

雑感 書評「山椒大夫」「最後の一句」森鴎外1915年刊 2025年5月2日

山椒大夫」は中世に成立した説教節という語り芸能の中のひとつ「さんせうだゆう」をもとにして書かれたもの。「最後の一句」は太田南畝(魯山人)が書いた随筆「一話一言」の中の一話をもとにして書かれた。どちらも実在の出来事である。もちろん鴎外の装飾が加わる。

 

山椒大夫」のあらすじは

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E6%A4%92%E5%A4%A7%E5%A4%AB#%E3%81%95%E3%82%93%E3%81%9B%E3%81%86%E5%A4%AA%E5%A4%AB

 

「さんせうだゆう」は

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E5%AF%BF%E3%81%A8%E5%8E%A8%E5%AD%90%E7%8E%8B%E4%B8%B8

 

主な改変は残虐さの除去である。読者の意識をそこから外して、鴎外の主題に目を向けさせたかったのだろう。

 

最後の一句」のあらすじは

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%80%E5%BE%8C%E3%81%AE%E4%B8%80%E5%8F%A5

 

物語自体を理解するのに役立つ解説は

 

https://booktimes.jp/saigonoikku/

 

 鴎外の書いたこれらの短編は読後に深い感慨を残す。心を引き付けるのに十分だと思う。両者に共通する特徴は、自分の命をなげうって他人を助けようとする意志の強い娘の存在である。乃木希典の殉死以来、鴎外がこだわってきた他者のための死が形を変えてここにもある。違いは主体が町人階級出身で、しかも女ということである。本作の死は少なくとも否定的には書かれていない。上司のためにする死はたぶん嫌悪感、危機感を持った鴎外だが、家族のような大切な人のためにする死を賭した行為は肯定的である。軍人や藩士天皇や藩主のために死ぬのは忠で、娘が父親のために死ぬのは孝だが、姉が弟の為に死ぬのはどちらでもない。敢えて言えば、義か。

最後の一句」にあるように、もともと原文にない、役人への娘の反抗的な最後の一句を書き加えているところからすると、死を覚悟した娘の強い意志が鴎外の主題だったと思う。

どちらの作品も娘が死を賭した目的を持ったときから佇まいが美しくなる。身近な軍人にもそういう人たちがいたのではないか、と思うし、鴎外自身そうありたいと願っていたのかも知れない。




追記

 

・「山椒大夫」の原本のさんせうだゆうとは、今の舞鶴市由良にあった平安時代の荘園の在地領主のことのようだ。領主が、人買いから人を買って拉致してこき使ったのである。その稼ぎを京都に住んでいる荘園の所有者である貴族が華美な生活の為に消費した。ロックもルソーも存在しない遥か以前、庇護を持たない人間は家畜のように扱われたのだ。

 

・上に挙げた「最後の一句」の解説では、恩赦があったので、娘の行動は父の減刑とは関りが無かった、と書いている。私の解釈では、娘の申し出があったので、沙汰伺いのため、死刑が延期になった。その期間に恩赦があったので、減刑になったのでは、と思う。少なくとも鴎外はそう解釈したはずである。でないと、この物語は意味をなさない。