関西では潮岬は「本州最南端」という言葉と結びついてで知られているが、東京でその言い回しを日常会話で耳にしたことはない。
潮岬は、もともと島だったものが打ち寄せられた砂が砂洲(さす)となり、本土側とつながってできた地形である。その砂洲の上に串本という町が乗っている。
8月8日の近所の海のブログ、8月12日の太地町のブログと同じように、潮岬の海岸も太平洋に面し、波が高く、山が海に迫って切り立った磯が広がっている。
一部で海から林縁までのアプローチが長い箇所があり、そこではこれまで目にしなかった植物がいくつか見られた。
アゼトウナ
岩と岩の隙間の日だまりにはハマゴウとコマツナギの花が咲いている。
海岸の藪の中で腰をかがめ、ビニール袋に何かを入れている女性を見かけた。山菜を採っているのかと思って近づいてみると、ペットボトルやビニールのゴミを集めていた。45リットルのビニール袋を3つ満杯にして藪から出てきた。それを一人で担いで山を登っていった。「地の塩」とはこういうことを言うのだろう。
この海岸を後にし、本州最南端の潮岬の公園に向かった。ここは30年前から芝生の公園だったが、いつの間にか有料のキャンプ場になっていた。日帰りでも小学生以上の利用で1人1000円が必要である。
私はキャンプ場利用者の視点で見るが、家族4人でテントを張って昼食を取って少しゆっくりして帰るだけで4000円かかる。どうしてこのような値付けをしたのか理解に苦しむ。
そもそも有料にするのにも抵抗がある。
お盆期間中、多くの観光客が潮岬を訪れていたが、この広い芝生広場には数張りのテントしかなかった。
追記
潮岬出身の男性と結婚した人から聞いた話で、今から約80年前の潮岬の生活についてである。
潮岬は、断崖地形の上に人々が住んでいたので川がなかった。故に水の確保が大きな問題であった。海岸近くの沢まで降りて水を汲むのは、毎日の子供の仕事であった。
水が乏しかったため稲作はできず、主要作物はサツマイモで、秋から冬にかけての主食はサツマイモであった。
多くの住民は漁業を営んでおり、漁で獲った魚を売って現金化し、他の食料を確保していた。