imakokoparadise’s diary

科学的エビデンスを最重視はしません。 エビデンスがなくとも論理的に適当であればそれを正しいと仮定して進む。私の目的は、得た結論を人生に適用して人生をより良くすること。エビデンスがないからと言って止まってられない。 目的は、皆の不安を無くすこと。

エッセイ 偶有性と目的達成 初めてのケーキ屋にどうやって行くか 2023年6月

私は年に数回、無性に甘いものが欲しくなり、ケーキ屋に行く。先日も甘いものが食べたくなって最近見つけたケーキ屋に行ってきた。

多くの人と同じように私も若いときからケーキが好きで、お気に入りのケーキ屋を見つけてきた。

10年ほど前までは世田谷区?にあるノリエットという店をひいきにしていて、娘の誕生日には必ずそこで買っていた。ケーキもおいしかったのだけれど、新宿の百貨店に1店舗だけ支店を出していて、拡大路線でないところも気に入っていた。本店では、珍しいことにレストランを併設していて、地元に溶け込もうとしているようにも思えた。

ところがある日、ウキウキしながらお店に入ってショウケースを眺めた時、すべて食べつくした感が湧き上がってきて、ウキウキ感が消火鎮圧されたのである。がっかりして何も買わずに店を出たのが、ノリエットに行った最後になってしまった。

次に見つけたのがやはり世田谷区?にあるトシ・ヨロイズカだった。人気店だけあって、素材の組み合わせが上手で上品なケーキだった。が、やはり突然ウキウキ感が失せてしまい数年前から足が遠のいていた。

で、今年になってから新たに見つけたのが、世田谷区にあるユ・ササゲである。

 

さて、ここからが本題なのだが、初めて行くお店なので、おおよその目星をつけようと、グーグルマップでそのお店にアップされているケーキの写真を見たのだ。しかし見れば見るほどウキウキ感が消失していき、既知感が沸き上がってきたのである。で、実際にお店に行ったとき、そこにはやはり既に見たケーキが並んでいたのである。

 

私が前もって下調べをするのは、時間とお金をかけるのだから、それ相応のリターンが欲しいと習い性で思っているからだ。しかし調べれば調べるほど、偶有性・未知感は失われていき、実際に行ったときのウキウキ感・感動が減っていく。 

旅行も同じである。例えば日光東照宮に行こうと思い、その情報を集めれば集めるほど、行った時の感動は薄れていく。

 

これをどう考えればいいのだろう。私の人生訓、今ここパラダイスの視点から言えば、下調べをしようがしなかろうが、目的に向かう過程のその時々の今を楽しんでいればそれでいいのだと思う。

 

しかし東照宮の歴史や建築に興味があるとき、全くの素、お客さん状態で行けば、その美しさに心動かされるかもしれないが、その歴史的位置づけ・役割は分からず、建築様式の特徴・位置づけも分からずじまいになる。それでは肝心の目的が達成されない。それがもし歴史学者建築学者であれば、致命的である。エジプト考古学者が、感動を最優先して何の下調べもせずに現地に向かうのが致命的であるのと同じだ。

 

つまりすべてのことは、偶有性を楽しむことと、目的達成を重視することのグラデーションの中にあり、個々人の嗜好がグラデーションの中の1点を決める。そしてさらに目的にも、外せない目的と外しても構わない目的があって、そこにグラデーションがある。外せない目的とは、例えば仕事に関することで、外しても構わない目的とは、例えば趣味である。

 

再びしかし、私の人生を振り返ってみれば、外せない目的を達成できなかったことが多々あるが、それがその後の人生を左右したとは思えない。すべて遠い記憶の彼方にある。今の私に何の影響もないと思う。もちろん気付かないだけかもしれないが。

 

だとすると、結果から考えれば、外せない目的などこの世にない、偶有性に重きを置いてよい、ということになるだろう。

 

追記

 

外せない目的とは、他人が関わっていることがらである。その最たるものは仕事だ。外して構わない目的とは、私的な目的である。

いやいや、アマゾンまで趣味のチョウチョを追いかけて行くのだから、とことん調べて、目的達成率を最大にするのだ、と意気込むかもしれないが、たとえ目的を全く達成できなかったとしても、誰にも迷惑は掛からず、後から振り返って見れば、笑い話になるだろう。ということを考えれば、その時々の過程を経験することが大切なのだと思う。その経験を楽しむことが大切なのだ。

まっ、そんなことを言えば、仕事の失敗も同じことになるか。目的が達成できず掛ける迷惑など実は知れている、という前提ではあるが。

 

更にこんなことを言えば、上記の全てをひっくり返すことになるが、人生など楽しんだもの勝ち、だと思う。人生は堂々と勝ち逃げが出来る賭け事である。