時間割引率の高い人とはこんな人である。今100万円貰うのと、10年後に200万円貰うのとどちらが良いか聞かれたとき、今100万円欲しいという人のことである。
結果としてどちらが得かを確率論的に考えれば、いま楽しみを消費して、みすみす損を選んでしまう人のことである。未来のゲインより、今のゲインが大きく見える人のことである。
よく使う言葉で言えば、我慢が出来ない人のことである。
と、もうみそクソであるが、もちろん彼らには彼らなりの合理的な選択の理由があるはずである。
で、私が思うのは、楽しいことをいま消費するより、可能な限り後回しにするほうが、ウキウキする時間が長くなって楽しいのではないか、ということである。
もちろん不可能であれば、いま消費して当然なのだけれど、例えば、今の暮らしが回っているのなら、今100万円を貰わずに10年後に200万円を貰うほうが、10年後の200万円に加えて、今後10年間ウキウキした気分で過ごせる、というおまけまでつくのだ。
良いことだらけだと思う。
追記 もしくは本論
時間割引率は経済学の概念である。なので、損得でなされる判断は正しい、ことが前提になっている。
当たり前だけれど、人にとって最も大切な価値は、経済合理的に説明される価値だけではないだろう。
利他行為は短期的に見れば経済合理性がない。が、利他行為が無ければ、家族や小さな共同体は成立しない。
時間割引率は行動経済学の概念だけれど、もともとは、心理学ですでに知られていた心の動きである。それを無理くり数値化することが出来るようになったので、経済学で扱えるようになっただけだ、というのが私の理解である。由来は心理学だとしても、経済学で扱ったとたん、損得を合理的に判断する人、が正しさの前提になる。
時間割引率は分かり易い概念だったので、今まで乱用してきたが、よくよく考えてみると、私のニックネームである、今ここパラダイス、とも相性が悪い。
今ここパラダイスの含意するところは、今ここにあるものこそがすべてで、そのことを知ることがパラダイスにつながる、である。あしたの為に今を生きない、今の為に今を生きる、あすなろ物語を生きない、である。もっと言えば、今ここが実はパラダイスだったのだ、という気付きである。チルチルミチルの青い鳥は実はここにいた、のと同じ類推である。
であるならば、10年後の200万円より今の100万円を取ったほうが良いじゃないか、ということにもなりかねない。
今ここパラダイスの側から言えば、今必要がないのなら、いくらでも後回しにしていいじゃないか、と言うのが回答である。
しかし、今ここパラダイスは根源的には経済学と相性が悪い。今後可能な限り、この概念の使用を控えたいと思う。
本当の追記 (ダラダラ書いてます)
お金を無尽蔵に使える人がいた場合、時間割引率なんて関係ないんじゃないか、と言う疑問が当然あるだろう。
いや、人が持っているリソースは人によってそれぞれ違う、時間だけが平等に分配されている。だから時間自体が、時間割引率の対象として考えられてもいい、だとしたら、どれだけお金を持っている人がいたとしても、やはり時間割引率の対象にならないではいられない、という回答があり得る。
しかし時間が大切だから、その時間自体を後回しにして使う、とは、一体どんな使い方なのだろう。発想自体は面白いが、とりあえずここでは意味をなさない。時間は何かをするための手段というか乗り物である。時間自体は大切にできない。結局は何をするか、である。であるなら、今の自分の気持ちを大切にして過ごすことが時間という乗り物に乗ってすることである。であれば、時間割引率が高くても低くても、今の自分の気持ちを大切に過ごしていればいいのだろう。ただ、もっともっと、つまり欲望の尽きない人とは、つまり時間割引率の高い人とは、しばしば自分の気持ちを大切にできない、さらに言えば、自分を大切にできない人だろう。そこに今ここパラダイスと時間割引率の正の関係性があると思う。