imakokoparadise’s diary

科学的エビデンスを最重視はしません。 エビデンスがなくとも論理的に適当であればそれを正しいと仮定して進む。私の目的は、得た結論を人生に適用して人生をより良くすること。エビデンスがないからと言って止まってられない。 目的は、皆の不安を無くすこと。

目的と手段 5 番外 2022年12月

1 例えば仕事で疲れた時、不快回避として、疲れを癒したい、ということを目標とする。で、帰宅して眠る、をそれを達成するための手段とする。で、その時の心構えは、効率重視の最短コースを選ぶことになるだろう。つまり最寄り駅で降りて、最短コースを歩いて帰る。楽しいと楽のあいだのグラデーションの、楽がわの重視である。

思うに不快回避の心構えは、効率重視しかないと思う。不快を回避することが、とりあえずの目標になるからである。そうなるのは心に余裕がないからである。

心に余裕がないときは思考力が落ちる。多くの人は思考力によって自己肯定感を維持しているので、思考力が低下すると、自己肯定感も低下する。自己肯定感が低いときに将来のことを考えても明るい展望は持てない。ダメな自分に支配されているからである。

ということを考えれば、夢を設定するときは、心に余裕があるときに決定するほうが、良い夢を設定できると思う。当たり前だけれど、夢は明るいものだからである。

 

2 楽しい目的を効率重視の、つまり楽しいより楽を、具体的に言えば、つまらない方法を重視する手段で達成しようとすることは矛盾が生じると思う。

例えば、以前チョモランマ(エベレスト)を見に、チョモランマが真正面に見えるネパールのカラパタールを目指したことがある。結局ふもとまで行って、最後のがれきを登らずに終えたのだけれど、私が興味のあったのは、植生や昆虫や人々の暮らしであったのに、カラパタールに行く、ということを目標にしてしまったため、その道中を楽しまず、異常な速さで工程を進めてしまった。これは、目的の選定の不十分さと相まって、今でもしばしば思い返す出来事である。何故それを目的にしたのか、というその上の目的を意識しなかったが故の苦い思い出である。達成した直後は非常に後悔したが、今ではよい経験になっている。

 

3 もう一つ向こう側

目的と手段のブログで私が求めていたのは、今まで書いてきた論理的帰結を崩すような、もう一つ向こう側の認識を得たいと思って書き始めたのだった、が私の力不足で今のところそこに辿り着けなかった。

目的と手段が統合するような、境界が無くなるような何かがあるような気がする。

いつかこれを崩してみたい。