imakokoparadise’s diary

科学的エビデンスを最重視はしません。 エビデンスがなくとも論理的に適当であればそれを正しいと仮定して進む。私の目的は、得た結論を人生に適用して人生をより良くすること。エビデンスがないからと言って止まってられない。 目的は、皆の不安を無くすこと。

子供時代を大人の視線で振り返る その子の隣には大人のその子がいる

子供時代のすべての経験を思い出せるわけではないが、強く心が動いた出来事は強く記憶に残り、思い出しやすい。

 

訳の分からないままに親に強く怒られた経験は記憶に残りやすい。その時はまだ人生経験が少なく、その意味が分からないが、大人になって思い出した時、親の気持ちを想像できることがよくある。

 

小学校の週末、家族で昼食を食べているとき、気分が良かったので口笛を吹いていたら、父親が突然、食事中に口笛吹くな、と大声で怒鳴ったことがあった。その時はなぜいきなり怒鳴ったのか訳が分からなかったが、今になって思えば、会社の仕事でストレスが溜まっていたのだと思う。

 

これに限らずときどき思い出す出来事がある。私も子育てをしたので思い当たることがたくさんある。

子供に理不尽にあたってしまう時の心情は、まだ子供だから、こちらの本当の気持ちは分からないだろう、というのがあると思う。私の気持ちがイライラしていたので、つい弱いところにぶつけてしまった。しかしこの子にはそのことがまだ分からないだろう。

そういう気持ちがあったと思うし、多くの親が経験していると思う。

 

しかし強く心が動いた経験は強く記憶される。そして大人になっても繰り返し思い出し、その経験を大人の視線で解釈できるようになる。つまりこちらの本当の気持ちを見透かされてしまう。

 

なので、親が子供を叱るときは、目の前にいる子供だけを見て叱るのではなく、その横に大人になったその子の存在を意識すべきだと思う。もちろん叱るときだけではなく、常にその子の横には大人になったその子がいることを気にする必要があると思う。小さい子供だからと、なめた態度をとっていると、いつか大人のその子に見透かされることになる。

 

親に対して思い出す出来事は一つだけではないだろう。理不尽な出来事を幾つか思い出すと、そこに共通する通奏低音のようなひとつの親の子供への態度が浮かび上がってくる。それは子供にとって受け入れやすいものではないだろう。

 

子供にはそういう経験をさせてはならないと思う。