imakokoparadise’s diary

科学的エビデンスを最重視はしません。 エビデンスがなくとも論理的に適当であればそれを正しいと仮定して進む。私の目的は、得た結論を人生に適用して人生をより良くすること。エビデンスがないからと言って止まってられない。 目的は、皆の不安を無くすこと。

unacceptable 自己受容困難をどう乗り越えるか

人には認めたくないものがある。それはずばり、価値のない私、である。それは過去の経験の中で、培われたものである。親しい人から大切にされなかった記憶の積み重なりである。

 

見ないで済ませられればいいのだけれど、価値のない私とは低い自己評価のことであり、自己評価が低ければ、外界から常に侵害されて、休まるときがない。鬱屈は溜まり続ける。それは自虐、他虐行為を生む。良い人間関係を築けないのである。

 

ではどうすれば、この見たくない、価値のない私、を見ることが出来るようになるのか。

方法は大別すれば3つしかないと思う。

 

1  不快経験の再解釈   原因を究明して、その経験の再解釈をする。あの時はこう感じたが、実はあの人はこういうつもりだったのではないか。あれは嫌な経験だったが、そのお陰で、こんな風に私は成長した、とか。

 

2  私の価値自体の再解釈   私の価値を決めるのは誰か、を考える。私のことをよく知らない人の評価を私に当てはめてよかったのか。私のことを一番よく知ってる私こそが、私の評価をするにふさわしい人ではないのか。そのことを心から実感するまで、腑に落ちるまで考える。

 

3  世界再解釈  そもそも世界は私を評価できるのか。世界とは私が認識世界で作りだした脳内現象に過ぎない。私が創り出した世界が、私と分離して私のことを評価することなどできるのか。そのことを、やはり腑に落ちるまで考える。

 

この3つしか乗り越え方はないと思う。

どれも真剣に考える価値があると思う。全廃できなくとも、2割減らすだけでも、ずっと生き易くなると思う。