imakokoparadise’s diary

科学的エビデンスを最重視はしません。 エビデンスがなくとも論理的に適当であればそれを正しいと仮定して進む。私の目的は、得た結論を人生に適用して人生をより良くすること。エビデンスがないからと言って止まってられない。 目的は、皆の不安を無くすこと。

人は三つのことを同時に処理できない

近頃は車を運転することも無くなったが、以前よく運転していた時に気が付いたことがある。

例えば交差点付近を通りかかるとき、歩行者が一人横断していて、同時に自転車が私と同じ車線を走っていた場合、それぞれの動きを予想して、車を運転し続けることが出来た。もう少し抽象的に言うと、無意識の中で自然に情報が処理できた。

つまり二つの別個の動きを予想することはさほど難しくはない。

ところが、ここに対向車線に右折しようとする車が一台現れると、たちまち脳の処理能力の限界に達してしまい、三つの動きを同時に予想できなくなった。つまり対処法はスピードをとりあえず落とすことだった。

 

運転しているとき、これをクリヤーできるかよく試していたのだけれど、処理できなくて、必ずブレーキを踏んで減速していた。

 

人は車を運転しているとき、車の運転だけに意識を集中しているのではない。音楽を聴いたり、直前の出来事を思い出したり、気になっていることを考えていたりする。つまり運転は多くの時間を無意識、デフォルトニューラルネットワークに近い状態で処理している。そういう状態では、三つのことを同時に処理できないのだと思う。

 

では意識を集中した状態では処理できるのか。

例えば10個から1個を選ぶ場合、具体的に例えると、お昼ご飯を食べに行くとき、行きたいお店のメモに10個の名前が書かれてあるとする。その中から一つを選ぶ方法は、まず今の気分から外れたお店を一つ一つ吟味して除外するだろう。ここではそれぞれのお店について、行きたいか、行きたくないか、二者択一が行われている。そこで3個残ったとする。この3個のお店からどうやって一つを選ぶか。

寿司屋かインドカレー屋か和定食屋か。初めから内心食べたいものが何となく決まっている場合を除外すると、この三つを同時に比べることは出来ないのではないか。私にはできない。実際にしている作業は、二つをまず比べ、つまり寿司屋とカレー屋をまず比べて、どちらに行きたいかを決める。その後さらにその勝者と和定食屋を比べるのである。

結局やっていることは、二者択一の連続である。三者以上の択一は、二者択一を繰り返すことによって乗り越えていると思う。

 

以上の経験から、たとえ意識を集中した状態でも、三つのことを同時に処理できない、と思う。

 

もっと多くの検証が必要なのだろうけど、このことから以下の可能性が考えられると思う。

たとえ集中していても、その能力は無意識の能力を超えることはない。

 

だとすれば、無意識が人の能力を規定していることになる。これが何を意味するのか、私にはまだ分からない。