imakokoparadise’s diary

科学的エビデンスを最重視はしません。 エビデンスがなくとも論理的に適当であればそれを正しいと仮定して進む。私の目的は、得た結論を人生に適用して人生をより良くすること。エビデンスがないからと言って止まってられない。 目的は、皆の不安を無くすこと。

季節は常に先行する 人は寒暖に悩まされ続ける

四季の変化は心を和ませる。春はウメ、夏はサルスベリ、これは最近のことだ。秋はヒガンバナ、冬はサザンカ

しかし夏に向かっては、常に暑さに悩まされ、冬に向かっては常に寒さに悩まされる。5月の五月晴れには既に汗ばんで夏を思い遣り、9月の雨の日には既に体をちぢこめて冬を思い遣る。

人はなぜ夏の盛りのずっと前から暑さに悩み、冬の盛りのずっと前から寒さに悩むのか。その理由を考えた。

 

1 体の慣れ 1月末ごろの小寒の時季になると、それまで続いていた気温の低下も終わり、気温は低位安定する。すると体がその気温に慣れてきて、以前ほどの寒さを感じなくなる。つまり気温が下がっていく時期は、その気温に体が慣れる前に気温が下がってしまうので、より寒さを感じてしまうのだ。夏に向かっても同じことが起こる。

 

2 服装の遅れ ある時点で着ている服装は昨日までの気温に合ったものだ。だから例えば気温下降局面では服装は常に後れを取ることになる。季節の変わり目に通りを眺めていると、オーバーを羽織ってる人がいるかと思えば、半袖で歩いてる人がいることにもなる。服装に限らず、寝具でも同じことが起こる。当然、気温上昇局面でも同じことが起こる。

 

3 三寒四温 冬から夏に向かって気温は同じ割合で上がっていない。ことわざに頼れば、3日寒い日があって、4日暖かい日がある。春に3日寒い日があるのは昨日までの気温と同じである。暖かい日が4日あったときに人は気温の変化を感じる。気温は波を描きながら上昇していく。上昇局面では、上の波の時に気温の変化を感じるのだ。5月に暑さを感じるのはそういう時だ。

 

以上3つの理由で、季節は人を先行してしまうのだと思う。いつまでたっても人は季節に追いつけない。別の見方をすれば、季節は、遅れがちな人を導き続けてくれているのだと思う。