imakokoparadise’s diary

科学的エビデンスを最重視はしません。 エビデンスがなくとも論理的に適当であればそれを正しいと仮定して進む。私の目的は、得た結論を人生に適用して人生をより良くすること。エビデンスがないからと言って止まってられない。 目的は、皆の不安を無くすこと。

感情と、不確実性への適応戦略

脳科学では感情(emotion)は不確実性への適応戦略であるという考え方がある。これをヒントに考えてみた。

 

ある出来事に遭遇した時、感情が生じて、感情とともに出来事が記憶される。強い感情を引き起こした出来事は強く記憶される。

予想外の出来事に遭遇した時、強い感情が生じて、強く記憶される。つまり未知の出来事は強い感情を添付されて記憶され、既知の出来事になる。言い換えれば、感情が生じた前と後では価値体系が変わったといえる。別の言葉で言えば、学習した。

つまり学習するには、感情の生起が必要である。

 

以下具体的に感情を考える。

怒り  突然人に押された。未知の出来事に遭遇した。驚きと共に怒りが湧いた。経験が記憶される。この世には突然人を押す人がいるのだ。今後はそれに備えよう。感情の前後で価値体系が変わった。感情の生起によって、価値は組み替えられた。学習した。

もし前もって、この人は私を押す、ということが分かっていれば、怒りは生じなかっただろう。つまり学習効果がある。

 

恐怖 山道を歩いていると、ヒグマに出くわした。驚きと共に恐怖を感じた。経験が記憶される。こんな山道にはヒグマが出る。これからはここを歩かないようにしよう。価値は組み替えられた。学習した。

もし前もってヒグマと出会うことがかなりの確率で分かっていたら、恐怖を感じなかったか。驚きはもちろん無いだろうが、恐怖は感じるだろう。つまり出会わないための学習効果はあるが、出会ったときは学習効果がない。

 

嬉しい  突然尊敬する人に褒められた。嬉しい気持ちが湧き上がる。今後そういう経験に備えよう。しかしこれは必要な学習ではない。強く記憶に定着しておく必要もない。何度でも喜べばいいのだから。つまり学習効果はないことになる。

嬉しいは学習するため、不確実性への適応戦略のために手に入れた感情ではなく、関係を強化するために手に入れた感情だと思う。

 

悲しい  大切な人を突然失った。とても悲しい。大切な人もいつかは死ぬのだということを学習する。悲しみながら、大切な人のいない世界を少しずつ受容していく。

前もって死ぬのが分かってれば、悲しみは生じないか。いや、深く悲しむだろう。つまり同じことがまた起こっても、同じ感情が生起する。その意味で学習効果はない。

悲しいも、嬉しいと同じく関係を強化するために手に入れた感情だと思う。

 

結論

 

ヒトが最初に獲得した感情は、fight or flight にかかわる怒りと恐怖だと思う。突然ある状況に遭遇した時、戦う(怒り)か逃げる(恐怖)ことが必要だった。その行動を強化するためにまず怒りや恐怖の感情が創られたのだと思う。(ただ快・不快感情はそれよりずっと以前からあった)

その後、生き残りをかけてより大きな集団を形成する必要に迫られた時、集団形成に有利に働く感情、つまり嬉しい・悲しいを手に入れたのだと思う。

 

感情の現代的意味

 

人はそれぞれ価値観を持っている。通常それは固定され変化しない。言い換えれば学習しないということだ。故に学習するには、

1 感情を起動させる。

2 論理を起動させる。(この場合も、分かった、という嬉しい気持ちが生じていると思う。)

 

ここでは1について考える。分り易くする為に感動に置き換えて考える。問題は感動しようと思っても感動できないことだ。世の中には感動屋さんがいるが、何が違うのか。思いつくままに挙げると、

1 こだわりが少ない。故に多くのものが見える。

2 心に余裕がある。夕焼けの美しさに気付く。

3 世界はこうなっている、という具体的なフレームを持っている。故にそこから外れた事象を見ると、あれっ、と思う。

4 他者の感情を感じて、感動してしまう。

 

2については、副交感神経優位なのだと思う。

3については、知識の多少はあまり関係なく、世界への態度、つまり、世界はワクワクしたもので満ちているはずだ、という態度が大切なのだと思う。つまり世界を肯定的に受け入れている。

1についても3と関係していて、世界に敵対してしまうと、自分を守るためにこだわりで身を固めることになる。 すると多くのものが見えなくなってしまう。故にこだわりが少ないとは、世界を肯定的に受け入れていることだと思う。

4については、経験の多少はあまり関係がない。相手の気持ちが分かってしまい、共感してしまう。熱を出したことのない人は、高熱でうなされている人の気持ちはわからないだろう。これは経験に依る。一生懸命に生きてる人の姿を見れば、思わず感動してしまう。大切なのは、経験の多少より、共感能力の多少だ。つまり経験が多くても共感能力が低ければ、感動は起らない。つまり相手の中に大切な自分を見れるか。となると結局、自己肯定感の問題になる。

ただ共感による感動は、感動の前後で価値変容が起こってないように思う。間をおいて同じものを見れば、やはり思わず感動してしまうだろう。故に学習効果がないので、ここでは除外する。

 

以上、感情の現代的意味の一つは、学習するのに利用できることだが、自発的に感情を生起させるのは難しいので、それを起こり易くするためには、

1 副交感神経優位を保つ。これはすぐにでもできるだろう。

2 世界を肯定的に受け入れる。これは自己肯定感を高めるしかないので、時間がかかる。

 

ここではわずかの種類の感情だけで考えた。いろんな感情で考えても、楽しめると思う。