imakokoparadise’s diary

科学的エビデンスを最重視はしません。 エビデンスがなくとも論理的に適当であればそれを正しいと仮定して進む。私の目的は、得た結論を人生に適用して人生をより良くすること。エビデンスがないからと言って止まってられない。 目的は、皆の不安を無くすこと。

ホームレスと心失者

DaiGo氏がホームレスは死んだ方がいいと言ったらしい
植松聖死刑囚は"心失者"は生きている価値が無いと言った。
私の考えをまとめてみた。

社会の特性
社会は全体でバランスが取れているので、ある一部が気に入らないからといって、それを除去することができない。 もしそれを除去するのであれば、なぜそれが存在しているのかと言う理由を見つけだし、全体を変えることによってその部分を除去する必要がある。

例えば、以下は古典的なセオリーだが、公共事業は、景気の調節弁として政策に使われる。 景気が悪い時は、政府は景気を良くするために公共事業の支出を増大する。 景気が良くなれば、公共事業の支出を減少させる。 それに合わせて雇用も増大と減少を繰り返す。 当然そこで働く人たちも就労と失業を繰り返す。 政府の政策は彼らの存在を前提として行われている。逆に言えば、彼らの存在がなければこの政策はうまく働かない。

生産性のない人について
共同体とは皆で支えるものである。 共同体に貢献する人は共同体にとって良い人である。 共同体にゆとりがある時は、顔なじみでもある、共同体に貢献しない人を養うことができる。 しかし共同体に余裕がなくなり人々が生き残るのがやっとの時、自分が生き残るのに役に立たない人のことを考慮しない。 誰と組めば生き残れるかという生存戦略で行動する。
考える必要があることは,今がその時なのか、ということだ。 どこにも餓死者は出ていない。 生きるか死ぬかの非常事態はどこにも無い。
ではどういう時が非常事態なのか。 個人から見れば、そういうことさえ思いつかない時が非常事態なのだと思う。 本当に非常事態になれば体が先に動いているだろう。

ではなぜ生産性だけで人の価値を判断しようとする風潮が出てくるのか。
共同体が解体し、人々は孤立し、鬱屈し、追い詰められ、精神的に非常事態モードになっているからだと思う。

補足

仲間と他人
仲間であればその言動の理由が推測できる。 ホームレスは死んだ方がいいと言ったとしても、その生い立ちや経験、日頃の言動を知っていれば、どうしてそんなことを言ってしまったのか、その理由を推測できるし、その真意を直接尋ねることもできる。 そしてその発言故にその人を全否定することもありえない。
見知らぬ他人の発言は、その生い立ちや経験を知らないが故に、その発言からその人の全人格を判断してしまう。 故にある発言をもって全否定が起こってしまう。
人類の歴史の中では、見知らぬ人との出会いはごく限られた場面でのみ起こり、人生のほぼすべてを顔見知りの人達だけで暮らしてきた 。
見知らぬ人との接し方を、私たちはまだ獲得していないのだと思う。 故にリテラシー・学習が必要なのだと思う。

他者を判断すること
もし私がその人だったらどうするか、どう感じるか。
これが人と接する時のルールだと思う。 もしある人が私と違う言動を取った時は、なぜなのかを考える。 人は意識の上では合理的に判断しているので、ある言動には必ず合理的な判断がある。 それは私たちにも理解可能なはずだ。
ならばある人が、ホームレスは死んだ方がいい、と言った時、なぜその人はそういう判断をしたのかを理解しようとする態度が大切だと思う。
ホームレスを見たときも同じで、もし環境が同じなら、私もホームレスになる可能性があった、と想像することが大切だと思う。

知人を判断すること
知人と接する時、相手の生産性が高いか低いかは、直接自分に利害をもたらさない。故にあまり気にしない。
どれだけ侵害しないか、どれだけ承認を与えてくれるか、が大切になる。 つまり知人を判断する時に大切なのは生産性ではなく人柄だ。

生産性が高いことと役に立つこと
生産性が高いとは大きな付加価値を生み出すということで、通常は金銭に換算され、たくさん稼ぐ、という意味になる。たくさん稼ぐということは、多くの人が欲しくなるものを作ったということで、社会に貢献している。
役に立つとは、例えば親にとって子供は生産性は高くはないが、喜びを与えてくれ、人生を豊かにする、という意味で社会に貢献している。

社会または共同体の維持
社会は皆で支えていく必要がある。 生産性至上主義の人の発言を聞いていると、社会は所与の前提で、そこからどれだけの利益を引き出せるかを重視している。 もちろん社会から利益を引き出すことは大切だが、社会が弱体化してはどうしようもない。 社会を維持する努力が失われれば脆弱なものになり、維持費用がかさみ、利益を引き出しにくくなる。
利他行為がなければ、家族でさえ成り立たない。